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どろどろと理想との往還。そこにうまれるアレゴリー。ホイジンガ『中世の秋』を読む(3)第8-9章_愛をめぐって


前置き。

新年おめでとうございます。今年も、文化の読書会は続いていく予定です。2020年の5月からなので、今年の5月で丸5年。次に読む本もいちおう決まってるので(←めっちゃ大冊です笑)、細々とではあっても続けていきたいと思ってます。

さて、今回も引き続き、こちらを。

ホイジンガの『中世の秋』、今回は第8章から第9章まで。ここでは〈愛〉がテーマになっています。どちらかというと、愛欲の話。

摘 読。

この第8章「愛の様式化」と第9章「愛の作法」で描かれているのは、中世における愛の表現と、そこから窺われる愛の実態。イタリアにおいては、報われることの愛を純潔的に歌い上げる宮廷恋愛の教理という精神性と、官能的な愛を詠い上げる古代憧憬とが合流した清新詩体へと進んでいったが、フランス地域においては、宮廷恋愛の作法に新たな内容が織り込まれていった。その代表的な作品がギヨーム・ド・ロリスとジャン・ド・マンによって書き上げられた『薔薇物語』である(今、文庫版上下を古書店に発注中。読書会には間に合わなさそう)。

この本は1240年から1280年のあいだに書き上げられ、2世紀にわたって貴族たちの恋愛作法はもちろん、読み書きできる人にとっての知識の宝庫となった。

第8章|愛の様式化

ここには、キリスト教の徳目や社会道徳、生活形態のあるべき完全な姿、そういったものが真実の愛という枠のなかにはめ込まれていた。このように、ある一つの視点に立って、人生のことすべてを理解しようとする中世精神の大掛かりな努力が、この書物には示されている。より具体的には、さまざまなかたちの愛を彩り豊かに描き出すこと、美しい生活を追い求める努力が、『薔薇物語』のなかに詰め込まれたのである。

このような愛を様式化しようとする努力には、単なるむなしい遊び以上のものがあった。情熱の凶暴な力そのものが、中世後期の激しい生活を生きる人々に命じて、愛の生活が高尚な規則にのっとった美しい遊びへと高められた。当時の下層階級の生活を取り締まる役割を果たしたのは教会であったが、貴族はそのくびきからいくらかなりとも解き放たれていた。その際に、彼らの自由奔放さを引き締める手綱が、醇化されたエロティシズムであった。そして、それは文学やモード、社交作法のなかに示されていたのである。

ただ、その際に気をつけなければならないことがある。それは、文学やモードは見せかけの現実をつくり出していたに過ぎないという点である。というのも、実際のところ、当時の貴族たちの生活もまたいいようもないほど粗野なものであったからである。今では考えられないような、あけっぴろげな厚かましさが残っていた。とはいえ、粗野だからといって理想に程遠かったのかというと、それはまた別である。洗練された愛と同様に、奔放な愛もまた独特の様式をとりえた。そこには、愛欲のプリミティブな姿があった。愛する二人だけのことは、闇のなかに隠し、そっとしておきたいと考えるのは近代の個人主義的な感情が芽生えるようになってからのことである。

したがって、さまざまな事物が祝婚歌において性愛のアレゴリーとして用いられた。それは教会用語にまで及んだ。これが文芸様式にまで発展し、恋愛詩というひとつのスタイルを生み出すに至った。これはロマンティックな虚構の文芸であり、愛をめぐる人本然の葛藤、社会的事情から臆病にも目を逸らし、性生活の虚偽、利己主義、悲劇を、つきせぬ歓楽という美しい見せかけで覆い包んだ、一つの表現なのである。ここには、美しい生活への憧れという強い文化衝動のあらわれがある。現実の姿を嫌い、生活をより美しいものとみたがる心の望みが、こういった衝動の基底にある。それゆえに、愛の生活を心に空想するかたちに無理やり当てはめて描こうとする。しかも、この場合には、動物的側面が強調される。その主たるテーマは欲望のまったき充足であり、むき出しのエロティシズムである。けれども、生にかたちを与え、生活を飾るのは、つつまれたエロティシズムである。このつつまれたエロティシズムこそ、はるかに息が長く、はるかに広い生活領域を覆いつつむ。そこには、信頼や勇気、気高い心のなごみといった倫理の要素も内に含む。

『薔薇物語』は、こういったエロティシズムの文化に、多彩にして内容豊かなかたちを与えた。だからこそ、『薔薇物語』は世俗の礼拝式文、教義、伝承の宝庫となった。しかも、これが二人の手によって書かれたものであるだけに、エロティシズムの文化の聖書として活用されたのである。ギヨーム・ド・ロリスの率直で明るい理想主義と、ジャン・ド・マンの否定的な精神の影、前者によって書きはじめられ、後者によって書き継がれたこの書物は教会が説く生活理想への大胆な挑戦でもあった。

この点で、この書物をルネサンスへの第一歩とみなすことができる。たしかに、この書物、外見上はまったくの中世である。感情の動き、愛のいきさつを、徹頭徹尾、擬人化して表現している。これは中世に特有の表現である。『薔薇物語』の登場人物の装いは、幻想に花開くボッティチェリの絵画をも思い起こさせる。つまり、『薔薇物語』は技巧が勝ちながらも、なおかつ感情の籠められた形式のうちに、愛の夢を描き出した作品なのである。アレゴリーをあやつるとき、中世人の表現への欲求は満ち足りた。擬人化という手段を欠いては、人々はさまざまな感情の動きを表現し、またそれを追体験することができなかった。この比類ない人形劇の多彩優美な色と線とは、愛の概念体系をつくるのに不可欠なものであった(以上、上巻293頁)

『薔薇物語』で説かれる愛は、理論としてはあくまでも宮廷風の気高い愛であった。ただ、その実はかつての宮廷恋歌にあらわれていたところとは異なり、単に貴族的な性格を持つだけのものともなっていた。それゆえに「まことの儀礼の愛」か、あるいは『薔薇物語』で描かれる「誠実すらも、女を射とめるための手段に過ぎない」というものなのか、当時の議論の種にもなった。『薔薇物語』への論難もあった。にもかかわらず、この矛盾がそのまま長きにわたって生き残り続けたのである。

第9章|愛の作法

愛を表現するさまざまなかたちは、その時代の文芸が教えてくれる。ただ、その時代の生活そのもののうちにこそ、それらさまざまなかたちのイメージを辿る必要がある。具体的な形象は、それらをあらわすものであった。衣装や花、装飾品の色にも微妙な意味が含まれていた。

こういった愛にからむ社交の作法は、今となっては文芸にとどめられた表現によってのみ窺い知ることができる。当時、それらは現実の生活であった。宮廷風のものの考え方、規則、作法を盛り込んだ礼式集の類は、単なる作詩のための手引きではない。貴族の生活にとって実際に役に立つような手引きなのである。とはいえ、そのような詩歌のヴェールを外して、当時の生活のさまをみようとするのは、ひじょうに難しいことでもある。たとえば、『真実なる物語の書』に描かれたような老詩人と少女のあいだの恋物語にも、当時の風紀や生活感情が滲み出ている。そして、こういった愛情の問題には宗教性もからんでいる。巡礼行が逢引のためになされるのは異常なことでも何でもなかったが、それ自体はたいへんまじめに、敬虔におこなわれた。

この『真実なる物語の書』と同じ時期に書かれた『騎士ド・ラ・トゥール・ランドリ、娘教育の書』という教訓的な散文の物語がある。ここで描かれているのは娘の結婚に関する教訓的な話である。これはロマンティシズムから遠く離れた書物であり、それゆえにかえって実際の生活の思い出を書き綴り、当時、現実の風儀と理想とがそんな対照を見せていたかを示してくれる。ただ、それとても、一般論的な話なのである。

こうみると、愛と結婚が無関係であったこともわかる。だからこそ、洗練された愛の生活に関する遊戯、会話、文章の諸要素は、何らの制約も受けずに展開されえたのである。愛の理想、誠実と献身という美しい虚構は、貴族の結婚につきものの、まったく物質的な思惑の局外に立っていた。この理想は、人の心を高める遊びというかたちでしか体験されえなかったのである。

私 見。

前回の騎士道におけるホイジンガの議論と、基調は同じである。ただ、それが愛/愛欲となると、あらわれかたも異なってくる。今回、ここで採りあげられている作品群に、私自身が直接触れていないので、ホイジンガの論じるところをじゅうぶんに汲み取れていない気がする。

ただ、前回の騎士道の話が、日本に照らして考えてみると軍記物語、とりわけ『平家物語』などに照応しうるのに対して、今回の場合であれば、やはり『源氏物語』ということになろうか。けれども、少なくとも日本において宮廷恋愛を描く場合に、それが女性の手になる作品であること、そして「手引き」といったような実用性を念頭には置いていないと考えられることなどを想起すれば、同じように宮廷恋愛を描くにしても大きな隔たりがある。

寓喩アレゴリーの体系性は、その文化の宇宙。

それ以上に、この2つの章できわめて興味深くもあり、またホイジンガもおそらくは意図していたであろう点として、アレゴリー(寓意/寓喩)の重要性を示すということには注目しておきたい。これは、この文化の読書会で次に読む予定の以下の文献、池上俊一(2020)『ヨーロッパ中世の想像界』(名古屋大学出版会)とも深くつながってくる。

日本にも寓喩というのはある。『萬葉集』における寄物陳思というのは、これに近いであろう。ただ、個々のモノが一対一の関係で抽象的概念の表象として位置づけられるのは、それほど多くないかもしれない。

たとえば、

 薬王品「是真精進是名真法供養如来」といへる心をよませ給ひける
つばめなく軒端の夕日影消えて柳に青き庭の春風  

院御歌(花園院)『風雅和歌集』巻第十九・釈教歌(2056)

のような和歌になると、つばめが何かを意味しているとかいうような次元ではなく、全体として描かれた景色と、それが経典において示された状況と、どう重なり合って映じるのかが問題となる。

もちろん、「なでしこ(とこなつのはな)」「夕顔」など、花が女性を象徴する表現などは、数えあげるとおそらく無数にあろう。ただ、ヨーロッパのようにそれがある意味で固定されて、ひとつの宇宙のような体系性を持つというところには、日本の場合は至っていないように思う。あ、言うまでもないが、これは優劣を論じているのではない。

ただ、ヨーロッパにおける表現というのを見るとき、そのモノや色などが何を象徴しているのかというのは、時代が変わっても通奏低音として流れ続けているように思われる。

というより、ヨーロッパに限られないかもしれない。むしろ、それぞれの地域において、モノや色などが象徴する抽象的概念の体系というのは、その地域に根づいている文化そのものとみるべきであろう。ここを無視して、自らの文化を他の地域に押し付けるとき、あるいはその地域の文化的背景や文脈を無視して、自らの文化であるかのように(それが自覚的であるかどうかは問わない)流用するとき、それが文化的な植民地化であったり、あるいは文化の盗用と呼ばれる事態を惹き起こすということにもつながるように思う。

ホイジンガはもちろんそこまで論じていないが、文芸作品のみならず、さまざまな歴史の断片から、そういった宇宙観的なパースペクティブとしての文化を描き出そうとしていること、ここに彼の主眼があるように、今回の第8章と第9章を読んでいて、あらためて感じる。

愛をめぐるどろどろと理想の往還。

愛ということに関して、決して得手ではない私は、これについて何かを論じる用意がない(笑)ただ、愛欲という動物としての人間にとって根源的な欲望の一つは、決してきれいなばかりのものではない。それこと、理屈で片づくものではない。だからこそ、理屈という以上の意味づけ ——この意味づけというのも、いわゆる悟性的なものというより、感性的な得心に近いというべきだろう—— を人は必要とする。

それを、一つの様式に落とし込むのが、まさに詩をはじめとする文芸であったし、それは宗教的倫理とも切り離せないものだった。本書の318頁に、『真実なる物語の書』において、少女ペロンネルのうしろに老詩人が座ってミサを聴くなかで、平和ラ・ぺという言葉が出てくる。これは、口から口へと伝えられる接吻の代わりに、次々に回されて接吻される小板のことであるが、同時にペロンネルが老詩人に唇をさしだしたことをもあらわしている。本来であれば不謹慎にも映る一連であるが、宗教的な読誦が愛欲の昂奮と重なり合うというのは、『源氏物語』で光源氏と夕顔がともにいるときに隣家から聞こえてきた御嶽精進みたけそうじの声を聴くというくだりと近似する。宗教的法悦と愛欲的恍惚が重なり合うというのは、洋の東西を問わず、どうも出てくるようである。

これに限られないが、愛欲という根源的欲望をいかに「よき」ものとして位置づけるかということは、人間にとって避けがたい営みであるのかもしれない。


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