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演じる詩作者、ゴルギアス。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(5)。

アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第2部第4章「ソフィスト術の父ゴルギアス」と第5章「力としての言論」を読みます。

摘 読。

1. ゴルギアスという人

ソフィストというと、もうネガティブな意味合いしか現代では認識されていない。それは、プラトンによって確定されたといえる。その代表的な存在がゴルギアスである。彼の事蹟はよくわかっていないが、100歳を超えて生きていたことはどうも確からしい。

ゴルギアスはシチリア島のレオンティノイ、現在のレンティーニ生まれである。

ここは、シラクサとカタナ(カターニャ)の中間に位置するイオニア人の小ポリスであった。レオンティノイはシラクサの圧力を逃れるために、アテナイとの同盟を結んでいたが、紀元前427年にはアテナイに救援を要請したことがわかっている。そのときにレオンティノイの使節団の首席となり、アテナイの民会で演説をして、アテナイの聴衆を魅了し、見事に援助を獲得したのがゴルギアスである。しかし、レオンティノイはまもなくシラクサに占領されてしまい、ゴルギアスはテッサリアやボイオティア、アテナイをわたり歩き、人々に「弁論術」を教授して授業料をとる「ソフィスト」として活躍することになる。その評判は高く、とりわけアテナイでは高かった。ただ、それゆえに諷刺の対象ともなった。また、さまざまな逸話にも登場する。それくらい、ゴルギアスがアテナイに与えた影響は大きかった。その弁論術=修辞学は多くの文人や政治家、歴史家、詩人たちに受けつがれることになる。

そのゴルギアスが生まれ育ったシチリアは、哲学潮流の交錯地であった。ことに、紀元前五世紀半ばにはギリシアの知的活動の中心となっていた。このイオニア海を挟んでイタリア南部とギリシアとの接点にあったシチリアでは、エレア派やピュタゴラス派、エンペドクレス自然学、そして弁論術といった知的潮流が集まっていた。さらに、先に触れたように、レオンティノイの南には大ポリス・シラクサがあった。そこでは紀元前467年に僭主制から民主制に移行したのだが、その際に不当に奪われていた土地や財産を取り戻すための訴訟が一気に法廷に持ち込まれた。このように、民主制においては言論によって自らの権益を確保しなければならなくなる。そのなかで、弁論術が発展していったのである。

そういった知的潮流を背景に、自らの言語活動を磨き上げていったのが、ゴルギアスであった。

2. 力としての言論:『ヘレネ頌』

ゴルギアスは、ソクラテスとの対比においてよく知られている。そこでは、一問一答の対話でともに探究することを要求するソクラテスと、一問一答も「演示(エピデイクシス)」と捉えるゴルギアスとが、プラトンによって“鮮やかに”描き出されている。プラトンはこの「演示」に弁論術の中核を見出した。

弁論術が主に実践される場は法廷であった。ギリシアでの裁判では、訴えた側も訴えられた側も、自ら告発や弁明に立ち、相手に反論することが求められた。そこでは、言論(ロゴス)がきわめて大きな役割を果たすことになる。この言論によって裁判員たる多数の市民の心理に訴えかけ、議場の感情を左右することで評決を有利に導くことが重視されていたわけである。また、民会の場でも、政策を議論し、さまざまな提案をおこなってことを有利に進めていくのは言論の力であった。

こういった言論を繰り広げるパフォーマンスが「演示」と呼ばれた。それを即興でおこない、対句を駆使して流麗な言論で人々を魅了したのがゴルギアスであった。彼が得意とした演示とは、その場の時宜(カイロス)に合わせて適切な言論を語る「即興演説」であった。これも、最初のうちこそアテナイの民衆を熱狂させたが、時代とともに過度の修辞は流行遅れとなり、揶揄の対象ともなっていった。とはいえ、即興演説の能力は、その場の人々の情動に訴えることで劇的な効果をもたらすことはまちがいない。その能力の宣伝となったのが、『ヘレネ頌』や『パラメデスの弁明』といった小品であった。これらは、ゴルギアスの演説能力を喧伝し、潜在的な生徒の勧誘でもあった。この両作品ともに、ゴルギアスが生きていたより数百年前のトロイア戦争に登場する人物を採りあげている。ただ、トロイア戦争を含む「ギリシア神話」とは固定された伝説体系ではなく、大枠の共通性のなかで、時代ごとに作者が創意によってストーリーをつくりかえる自由を許すものであった。悲劇詩人たちは、よく知られた題材にどう新しい工夫と解釈を凝らすかを競っていた。

この『ヘレネ頌』に関していえば、絶世の美女で「悪女」とされたヘレネを主人公に据え、その主人公を弁護するかたちで、自らの言論の能力=弁論術を演示している。しかも、それを「遊び」として演示しているところに大きな特徴がある。本書第5章では、『ヘレネ頌』の訳出と節ごとの分析がなされている。そこはひじょうにおもしろいのだが、摘読としては省略する。

この納富の分析において、「言論を演示する目的は、人々の常識を追認することではなく、〈悦び〉を与えることにある」というゴルギアスの考え方が酌み出されている。ここは、この『ヘレネ頌』という作品が狙うところを考えるうえで、重要なポイントになる。

さらに注目したいのは、ゴルギアスが詩をこう定義しているところである。

…聴衆には思いで示すべきである。/私は、詩とはすべて韻律をともなう言論であると考え、そう呼ぶ。詩を聴く人々には、恐れによる震えと、涙があふれる憐れみと、嘆きに満ちた憧れが侵入してくる。他の者たちの行為や肉体の幸運や不成功について、言論によって魂は何か固有の受難を被ったのだ。

『ソフィストとは誰か?』166頁。

ここにこそ、プラトンが『ポリテイア(国家)』で批判的に検討した、詩の力がある。プラトンが詩人を国家から追放すべきだと唱えたのは、この人々の魂を揺り動かす圧倒的な力ゆえである。そして、ゴルギアス自身も、そのいかがわしさは自覚しているのである。

この『ヘレネ頌』を通じて、ゴルギアスは魂を望むようにかたちづくる3種類の言論を列挙している。ひとつは「不明瞭なこと」を学説によって私たちの心に現出させること、ふたつめには「真実」ではなく「大衆を悦ばせる説得」としての弁論術、そしてみっつめが機敏な知性を競う意見の対立から自由に聴衆の魂をかたちづくる哲学的な言論である。このように、ゴルギアスは言論を魂を自由に操る力であると述べ立てる。ただ、これも、あくまでもヘレネへの批判を論駁するという流れのなかで論じられていることに留意する必要がある。

この『ヘレネ頌』を通じて、ゴルギアスは「人々を支配することができる」能力としての弁論術ということを「演示」している。というのは、ゴルギアス自身がヘレネを真に無実だと考えているといるわけではなく、人々を悦ばせる「遊び(パイディア)」として、ありそうもないことをあえて論証する言論を創り出しているようにも疑われるからである。ただ、それは単純な「欺き」ではなく、心理と虚偽、本物と似而非物の区別や秩序を逆転させる言論が導入されているのである。つまり、哲学が志向する「真理」、さらには法廷において判断される「正/不正」の絶対的な判定そのものを疑うことによって、哲学的な「真理」に挑戦し転倒させることで、弁論術の理念を演示しているわけである。このように、『ヘレネ頌』でヘレネへの非難を取り除こうとして展開される言論は、実際に彼女の無実を勝ち取る法廷弁論ではなく、彼女の罪を信じている私たち常識人を挑発し、魅惑する逆説的な遊びなのである。

私 見。

即興性ということ。

昔、桂ざこばと笑福亭鶴瓶がやっていた『らくごのご』という番組があった。ここでは、客席から三題噺のお題を出してもらい、当座で落語をするというものだった。鶴瓶は、これ以外にも『スジナシ』という台本なし、ぶっつけ本番のドラマを上演するという試みを長く続けていた。

こういった即興性は、時代を問わず、私たちを楽しませてくれる。そこには、登場人物であったり、素材であったり、一定の表現(定型句)であったり、何らかの型を持ちつつも、そこから逸脱したりしながら、今までとは異なる帰結を演じ出すところに、そのわくわくがある。

今回の章を読んでいて、おそらくゴルギアスは人々が集まるところで即興的に「弁論」をもって聴衆を魅惑してしまう演じ手(player)だったのだろう。それは、まことに恐ろしい存在でもある。プラトンが「追放すべきだ」と(もしかすると、ややヒステリックに)主張したのもわからなくはない。

詩の上演性。

しかも、ゴルギアスが『ヘレネ頌』で演じてみせたのは、ヘレネその人を弁護するかのように演示しながら、聴衆を聴衆のままに置いておかず、問いとして突きつけ返すようなかたちで巻き込むというものであった。

これ、表面的には違うようにも思えるのだが、私が能という演劇にはまるきっかけになった舞台において得た感覚に近そうな気がするのだ。その舞台は、演者(謡い手、囃子方)が舞台には出るのだが、紋付袴、あるいは裃姿で着座し、一曲を音曲として上演するという番囃子という形式であった。その主人公(シテ)を勤めた近藤乾之助という能役者は、決して声量が大きいわけではないのだが、息の力が強く、物語が紡がれていく趣だった。その他の謡い手や囃子方も絶品で、ある瞬間に聴いている自分がその物語を実際に見ているかのような感覚をおぼえたのだ。つまり、舞台と見所が同じ空間になっていたわけだ。そのときに上演されたのは『関寺小町』といって、能において最も重視される曲だった。そもそも上演すること自体が難しい。ましてや、いくつかの事情があったとはいえ、番囃子で上演することも例がなかったはず。それを逆手に取りつつ、上演として成就させた。もう19年近く前のことであるにもかかわらず、今なお記憶は鮮烈である。

そういったことを実現してしまえるところにこそ、弁論術の魅力、そして恐ろしさを「演示」をもって提示したところにゴルギアスの凄さがあったのではないかと思う。

Entrepreneurship as a Fabrication

さて、ここで連想的に思い浮かんだことを書きとめておきたい。最近読んだHjorth/Holt(2022)という文献がある。これは、文芸作品や哲学文献などを駆使しながらアントレプレナーシップを説明しようとする珍しい作品である。

このなかで、Hjorth/Holtはアントレプレナーシップをfabricationと規定する。Fabricationとは製作という意味合いと同時に、「でっちあげる」という意味も持つ。これに関して、Hjorth/Holtはアントレプレナーシップを魅了(seduction)/ 遊び(play)/ 共通感覚(common sense)/ 商取引(commerce)という4段階から捉えている。今ここで、これについて詳しく書くことはしないけれども、アントレプレナーシップにおいて重要な意味を持つ想像力がどのように湧き起こり、人々をかき立てるのかが論じられている。

さて、これとゴルギアスの考えていたことに、重なり合いを感じるのは私だけだろうか。

情動の魅惑と恐怖。

大事なことを書き忘れていた。このnoteで、私はゴルギアスを全面的に肯定するとかそんなことは言っていない。むしろ、煽動家的な側面は恐怖である。実際に、ゴルギアスの演示を目の当たりにしたら、眉をひそめていたかもしれない。プラトンの詩人追放論も、わかることはわかるのだ。

しかし、プラトンの『ポリテイア』が描く国家というのは、理想的であるように見えて、静止的である。ここからは新しい何かが生まれてくるということはないだろうし、ポパーが嫌ったように専制的な体制へと硬直化していく可能性は高いだろう。

一方で、ゴルギアスのようなソフィストたちばかりが跳梁跋扈する社会というのも、しんどいだろう。このあたり、情動的・感性的な側面と社会というのを考えるうえで、正解のない難儀な問いを提示しているようにも思える。

自由ということ。ゴルギアスを舞台に引きずり下ろす。

そもそも、支配することが自由というゴルギアスの考え方も好きではない。今さらここでバーリンの2つの自由を持ち出さなくてもよいだろうが、ゴルギアスがいう自由は「積極的自由」に属するといえよう。ただ、私自身は「積極的自由」ももちろん必要だと思うけれども、「消極的自由」がすべての人に保証されている状態こそ現代における社会の基盤だと考えている。その点で、ソフィストとしてのゴルギアスのありようはnegativeにもpositiveにも考察のためのきっかけを与えてくれているとはいえるだろう。

ゴルギアスは、そういったことを「演示」して、さながら「自分は神ではない」といいつつ、神であるかのようにもふるまっているようにも映る。そういったゴルギアスのありようそれ自体を、私たちが舞台に引きずり降ろしてこないといけないのかもしれない。


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