文化と文明、文明と文明。ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(4)
ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会第4回のメモ。これで「日常性の構造」の最初の章が終わる。
摘 読
この章で貫かれてきたのは、数という観点から文化や能率の水準、生物学的さらには経済学的な成長のリズム、そして病理学的な宿命を捉えていこうとする姿勢である。この節「弱小者に対抗する多数者」もまた同様である。ここでブローデルが目を向けているのは、人間団塊相互間の関係、とりわけ戦闘・戦争の歴史である。人類の歴史を顧みるとき、戦争はつねに姿を見せていた。そこで留意すべきは、数とは文明であり、力であり、未来であるということである。これはただちに、実際のところ巨大な文明に勝利した“蛮族”がいるではないかという反論を呼び起こすであろう。しかし、文明に勝利を収めたかに見える“蛮族”は、すでにして半ば以上、文明化されていたのである。ゲルマン民族、アラブ民族、トルコ人、蒙古民族、満州族、タタール人などなど。これらの“蛮族”の勝利は短期的なもので、彼らは自らが平らげた文明によって吸収されてしまった。
諸文明にとって、ほんとうに危険な“蛮族”は〈旧世界〉の中心にあった砂漠・草原の遊牧民であった。彼らは馬と駱駝を乗り回し、彼ら自身にとっても他人にとっても苛烈な人々であった。彼らが外部から突きのけられたり、乾燥に見舞われたり、人口の圧力が高まったりすると、自らの牧草地から追い立てられて隣国の牧草地に侵入した。すべてが緩慢な時代にあって、彼らはまさしく疾風迅雷の勢いで駆け巡った。西ヨーロッパは東ヨーロッパが防柵の役割を不本意にも担ったがゆえに、ようやく平安を維持できたのである。
しかも、遊牧民にとって好都合だったのは、諸文明に近づくための門戸を守備している人たちが、わりと不注意で弱体だった点である。これらの門戸の堅さによっても、遊牧民の移動は影響された。その門戸が緩んだ文明へと遊牧民が移動していくとき、それ以外の文明は「呼吸が楽に」なったわけである。
これらの動きが圧せられたのは、1680年の清朝の成立であった。満州族が中国を征服した結果、華北は掌握され、保護下に置かれた。それによって満州や蒙古、トルキスタン、チベットなどが前進防衛哨となった。さらに、ロシアもネルチンスク条約によって清との国境に折り合いをつけざるを得なくなった。このような「国境の画定」によって、遊牧民の疾風迅雷は圧伏され、自分たちの土地にとどまらざるを得なくなった。
文明は文化に勝ち、原始民族に勝ち、さらには無人空間に対しても勝利を収めた。ヨーロッパ人の南北アメリカ大陸での「征服」は、まさにその最たる例である。ここでは、もちろん原住の民族たちの抵抗はあったものの、征服者たちにとってはさほどのことでもなかった。問題は、距離という空間であった。あらたに土地を開拓していくとき、そこでの生活はゼロからのやり直しであった。そこにおいて、住民は社会生活を押し付けられることもなかった。それゆえに無政府状態が続いた後、秩序が生まれていった。
ただ、進出や征服が無人境を突っ切って行われたのではない場合、ことはややこしくなる。たとえば、ゲルマン民族が12世紀から14世紀にかけておこなった東ヨーロッパへの進出においては、旧来のスラヴ都市にもドイツ法を押し付けるということをしたのだが、すでにスラヴ民族はそこに定住していた。それゆえに、彼らは新来者であるゲルマン民族に抵抗し、ゲルマン民族を呑み込もうとさえした。このような事例は、他に地域にもみられる。
文化とは、——ブローデルのみるところ——いまだに成熟・最適条件に到達せず、あるいは確かな足取りで成長するまでに到らない文明である。ただ、ここで注意しなければならないのは、文化や半文明は文明によって押しのけられてもまた姿を現し、執念深く生き延びようとしたし、実際には生き延びたのである。
文明と文明とが衝突するとき、そこにはドラマが生じた ——ドラマといっても、それは敗れた側にとって悲劇である——。敗れた文明は、多くが植民地化される運命をたどった。ただ、その際に留意しておかねばならないのは、植民地化された文明も、それぞれに独立を回復していっているという事実である。つまり、いったんは別の文明がその地を席捲したとしても、それは後代からみれば“挿話”の様相を呈するのである。
戦争という営みが、人間生活にいったい何をもたらしたのか。そこを見なければ、社会的・政治的・文化的(宗教的)風景のすべてが、たちまち薄れて見失われてゆく。そして、交換そのものが、その意味を失ってしまう。というのも、交換という営みそれ自体が不平等性をしばしば伴うからである。
それぞれの人間団塊(集団)が日常生活に直面するための装備は、互いに不平等なものであった。その差異を直視することこそが、経済生活、そして資本主義を捉えていくことを可能にするのである。
私 見
ここでの節で照準が合わせられているのは、戦争である。戦争というのが悲惨な事態を招き続けていることは、今さら言うまでもない。私も、戦争という事態は最大限、生じないことを切望する。ただ、この節で考えているのは、戦争の善悪の問題ではない。「戦争が、人間生活に何をもたらしたのか」である。つねにそうであるというわけではないが、戦争は往々にして文明どうしの争い・戦いとなる。そこでは、それぞれの文明が別の文明や文化を「征服」したりしようとする。短期的に見れば、「征服」がなされることもある。ただ、征服された文明や文化も、完全に征服されつくすわけではなく、それらは生き残ったり、復活したりする。
さて、ここで気になるのが、文明と文化の相違である。ブローデルは文明となるに至っていない状態として文化を捉えている。それは、確かにそうである。ただ、文明化しない文化というのはないのだろうか。文明がプラットフォームであるならば、文化はより局限的に具現化した生活様式や判断基準として捉えることができるようにも思われる。
そう考えるとき、資本主義は〈文明〉といっていいのだろうか?
仮に〈文明〉であるとするならば、〈文明〉を意図的に変化させることは可能なのだろうか?
仮に〈文明〉を方向づけようとするのであれば、文明と文化の相互関係をていねいに捉えていかねばならないのではないか。
そんなことも頭をよぎった。