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ひとの住むところ:ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(2)

前回から、以下の本を読み始めてます。

2020年は、ほんとに(みなさんそうだったと思いますが)ドタバタでした。毎年ドタバタはしてるんですが、ドタバタのしかたが大きく変わったというべきでしょうか。

そのなかで、こういったオンライン読書会ができるようになったのは、大きな変化の一つでした。今まででも、もちろん技術的にはできたわけです。でも、こういう事態に立ち至らないと、「こんなこともできるんや!」ってのに気づかないんですよね。そういう意味で、学び、考える場が、案外に増えたのも2020年の特徴かもしれません。

「参照用スケール」(47-76頁)摘読。

ここは、というか、ブローデルの歴史記述は質的&量的なデータをフルに活用して展開される。それゆえ、基本的に記述が分厚い。分厚すぎるくらいに分厚い。今回読むところも、分厚い記述にあふれている。だから、ほんとに要点を。

人口集積と「都市」
ブローデルがこの本を書いた1979年当時、世界の人口は約40億人。14世紀初頭もしくは19世紀初頭と単純に比べると、12倍あるいは5倍である。ただ、当時とは人口構成のピラミッドが同一ではない。それ以外にも、大きな違いがある。

たとえば、ケルンは15世紀ドイツの最大都市であったが、人口はわずか2万人であった。ただ、農村人口と都市人口の比が10:1であったことを考えれば、人間・活力・才能・養うべき人口が大いに集中していたといえる。その点で、これは現在の10万人あるいは20万人の密集地帯をはるかに超える集団であった。そう考えれば、16世紀に少なくとも40万人、おそらくは70万人の人口を抱えていたイスタンブールは怪物都市であった。そんな年が生活していくためには、途方もない食料や資源、そして人間が必要だった。戦争をするに際しても、やはり同様の制約があった。つまり、きわめて制約された補給のなかで、戦争を展開しなければならなかったのだ。ブローデルがラスレットを引用して「人間の共同社会がいずれも量的に小型であったことこそ」「われわれの失い去ったあの世界の特徴をなす事実である」と述べるのは、まさに現代と当時との大きな相違をあらわしている。したがって、都市から人口が流出するのは、その都市にとって、なかなかに危険な事態だったわけである。

一方で、ヨーロッパは政治的に細かく仕切られていたし、経済的な柔軟性にも乏しかった。16世紀にもなると、とりわけフランスでは当時の人口収容能力を超える人口を抱えるに至っていた。それゆえ、フランス人たちはスペインなどに次々と進出していった。これは18世紀に、避妊という慣習が広まることにもつながっていく。

人口密度と文明水準
人類は、地球の90%を空き地のまま放置してきた。つまり、世界は人口密度の点で重くて狭い地域と、だだっ広く、空漠として軽い地帯とに分かれていた。それは、人間が好んで自分自身の経験の枠組のなかで生き続けるからであり、世代から世代へ、遠い先祖が遂げた成功の罠にかかったまま離れていかないからである。だからこそ、諸文化の境界は何百年たってもかなり変化に乏しいままである。

ヒューズが作成した16世紀初頭に関する文明や文化の地図を見ると、総計およそ1000㎢の土地に、この上なく明確な個性を持った人口密度の高い国々が紡錘状に伸び拡がっていた。これらのそれぞれの土地において人口の負荷を支えることができるかどうかは、それぞれの土地の住民が利用しうる資源、さらにはそれによる〈産業化〉に依存する。事実、17世紀および18世紀の中部ヨーロッパには、極度にやせ細った村が数多く点在していた。こういった村々は、当然ながら領主に対しても無抵抗であらざるを得なかった。

さて、こういった文明の発達した地域というのは、均質に分布していたわけではない。そして、それらの地域の周りには未開の辺境地帯、そして無人境が控えていた。

そういった地帯は、野獣たちが主人公としてふるまっている。人が襲われることもまれではなかった。にもかかわらず、時として、文明人はそれを楽園ともみた。そして、おのれをしがらみから解き放ちたがった。そのような無人境はたしかに楽園のような趣を呈することもあった。何より人間に対して無警戒・無防備な野獣や野鳥を余るほど捕獲することもできた。つまり、18世紀以前においては、ほとんどどこででもジャングルブックのページを開くことができたわけだ。それほどまでに、地球で人間が占領している勢力は弱かったのである。

雑 感。

最近、「人新世」なる言葉をしばしば見かける。おそらく、そう説明してよい事象が蓄積されているのであろう。それはそうであろうと思う。ただ。そんなに簡単に「ここからが人新世だ」などと割り切って言挙げできるのかどうか、私にはわからない。

ブローデルの歴史記述は、冒頭にも触れたように、まことに分厚い。そこに登場するさまざまな要素、要因がどのように関係しあっているのかを読み解いていくのは、おもしろい。そして、同時に裁断的なものの見方、もっといえば「わかりやすい」原理主義的なものの見方を拒む。その姿勢、私は好きだ。

最近、Eテレの「100分 de 名著」という番組でブルデューの『ディスタンクシオン』が採りあげられている。ブルデューとブローデルの関係は、ブルデュー自身が語った言説のなかにあるようだが、ちょっと確認するのに間に合わなかった。

『ディスタンクシオン』全2巻、このテレビとあまり関係なく、ふと立ち読みして「こんなにおもしろかったっけ」って思って購入した。もちろん、まだ読み切れていない。けれども、意味のイノベーションを考えるうえで、ちょっと外せない気がしている。

構造主義といっていいのかどうかわからないが、事象を関係性から捉えるということの重要性は、何としても閑却されてはならないと、私は思う。ものすごく乱雑な見方かもしれないが、ブローデルが巨視的に歴史を捉えたのに対して、ブルデューはそれを意識しつつ、より微視的に捉えようとしているのではないかと感じたりもしている。このあたりは、ちゃんとこの方面の研究にあたらないといけない。いずれにしても、関係性から捉えようとしている点では通じ合うものがあるように思う。

関係ないことを書き連ねたように思われるかもしれないが、私のなかではそうではない。このあたりは、読書会のなかで話そう。


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