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私の好きな短歌

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私が好きな短歌を紹介します。主に大正、昭和の歌です。時々現代のものも。
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#短歌

私の好きな短歌、その1

 あ、いいなと感じた短歌を紹介し、簡単な評をします。いわゆる一首評。評をすることが、自分の実作の糧となってほしいと思います。
 まずは、中央公論社の「日本の詩歌 第6巻(島木赤彦、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明、岡麓)」で見つけた歌から始めます。文中の作者の年齢は数え年。

中村憲吉『しがらみ』より(『日本の詩歌 第6巻 p195』)

樽負ひてはひる人あり小蓑より乾ける土間に雪をこぼして

 「大

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私の好きな短歌、その2

中村憲吉、歌集『しがらみ』より(中央公論社『日本の詩歌 第6巻』p203)。

国こぞり電話を呼べど亡びたりや大東京に声なくなりぬ

 「関東大震火災」中の一首。当時作者は大阪毎日新聞の経済部記者として働いていた。詞書に「大阪にて関東大地震を感じたれど、未だ大災害の起れるを知らず。ただ総ての通信機関その活動をとどめ、夜に入るも帝都の音信伝はらざるを怪しみ、人人初めて不安の念に駆らる」とあり生々しい

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私の好きな短歌、その3

 中村憲吉、歌集『軽雷集以後』より(中央公論社『日本の詩歌 第6巻』p230』)。

真むかひの山家のなかは西日射しあからさまなる仏壇のみゆ

 「秋の山田」中の一首。憲吉が帰郷して家業(蔵元)に従ってからの作。山間の里では、川に沿った平野部分は水田にして、住家は少し上がった山腹に建っていることがある。家が西に面していると、下の田が山影に入っても、家にはしばらく西日が差し込む。そこに「あからさまな

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私の好きな短歌、その4

中村憲吉、歌集『軽雷集以後』より(『日本の詩歌 第6巻 p238』)。

病む室の窓の枯木の桜さへ枝つやづきて春はせまりぬ

 『日本の詩歌第6巻』の憲吉の章では最後の歌。「窓前」という題がある。これが憲吉の人生最後の歌なのかどうかは分からないが、この桜が咲いた後、5月5日に死去したと注にある。桜の枝がつやづくとは、どんな感じだろうか。見た目に分かるものなのだろうか。晩年病がちだった憲吉は、自分の

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私の好きな短歌、その5

夕まぐれ音をひそめて帰り来し子どもは雨に濡(ぬ)れてをるかも

島木赤彦、歌集『切日』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p20』)。

 「赤罌粟の花」中の一首。罌粟が咲くのは初夏という。なぜ子どもが音をひそめて帰ってきたのかは分からないが、子どもは濡れている。情景は明白だが、すべてが明らかではないという魅力がある。子供は雨に濡れてしょんぼりしているのか、あるいは何かに夢中で雨に濡れることを

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私の好きな短歌、その6

枕べの障子一日曇りたり眼をあげてをりをり見るも

 島木赤彦、歌集『氷魚』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p29』)。

 「病床」中の一連。この次の歌から、季節は冬とわかる。何もすることがない病床で、視線だけが部屋の中をさまよい、ときおり障子を見ている。それだけの歌だが、写生であるがために、実感がこもっている。「一日」によって時間の幅が生まれ、長い退屈が表現された。

 1916年(大正

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私の好きな短歌、その7

遠近の烟に空や濁るらし五日を経つつなほ燃ゆるもの

 島木赤彦、歌集『太虚集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p62)。

 「関東震災」中の一首。詞書に「九月三日信濃を発し五日東京に着く。六日下町震災中心地を訪ふ」とある。一首から、焼き尽くされた街の様子が目に浮かぶ。五日を経ってもなお物が燃えている、厳しい状況だ。三句で切って結句を体言止めとして、呆然とした人のやるせなさが描かれ、感情を

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私の好きな短歌、その8

ひと平らに氷とぢたる湖に降り積める雪は山につづけり

 島木赤彦、歌集『氷魚』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p42)。

 「冬の雨」中の一首。湖とは諏訪湖のこと。初句の「ひと平ら」、なかなか出てこない言葉だと思う。二句も出てこないのではないか。読むとなんの引っ掛かりもなくすんなり読めるが、私の中からは出てこない言葉だと思った。
 読みながら視界が足元から流れていき、彼方の山へと導かれる

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私の好きな短歌、その9

あからひく光は満てりわたつみの海をくぼめてわが船とほる

 島木赤彦、歌集『太虚集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p65)。

 「満州」中「二十九日大連出帆」の一首。赤彦はこの年、南満州鉄道株式会社に招かれて満州へ行った。初句と三句の枕詞が一首を古風にし、重厚なリズムを生んでいる。古代から変わらない壮大な風景があり、そのただ中を作者の乗った船が静かに進んでいく。「くぼめて」が見事。これ

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私の好きな短歌、その10

あしたより日かげさしいる枕べの福寿草の花皆開きけり

 島木赤彦、歌集『柿陰集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p80)。

 「恙ありて 二」中の一首。大正15年1月、胃がん発症を確認してから作られた歌。病を知った上で、朝の光の美しさ、それを受けて一斉に咲く福寿草に感じるものがあったのだろう。初春に咲くという可憐な花である。
 作者の病という背景を知らなければ、素直な喜びが明るく表現され

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私の好きな短歌、その11

隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり

 島木赤彦、歌集『柿陰集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p81』

 作者の思いが真っ直ぐに詠われていて心にひびく。結句の「生きたかりけり」という詠嘆が効果的である。子が書を読む声を聞いて、その将来に思いを馳せ、楽しみに思うと同時に自分はそれを見届けられないだろうという悲しみがあり、ああ、自分はまだ生きていたいのだ、という素直で深い願

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私の好きな短歌、その12

私の好きな短歌、その12

外に行くと病み臥す母に告げにけり春の雨夜の宵しづかなる

岡麓歌集、『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p322)。

 何の用事の外出なのかは分からないが、分からないままであることがいい。この時の様子をただ述べている。事実をそのまま述べるだけで、そこから悲しみや不安、愛情などがにじみ出てくるということが、写生文学の素晴らしさではないだろうか。背景を完全に説明しないことで、読者それぞれ

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私の好きな短歌、その13

雨乞の寺の鐘鳴りひびくなり白昼の如く月てりわたる

岡麓、歌集『庭苔』より(『日本の詩歌 第6巻 p330』)。

 次女茂子の夫の郷家のある備後地方の、「湯田村」と題された一連中の歌で、詞書に「今年の旱魃は三十年来の事といへり」とある。「雨乞」が新鮮。大正14年には寺で雨ごいがされていたわけだ。
 東京生まれの作者にとっては、備後湯田村は異国の地である。旱魃に苦しむ村で、月夜に響く雨乞の鐘を聞い

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私の好きな短歌、その14

みどり児のねむるつり籠つりかけし庭木の上を烏の飛びぬ

 岡麓、歌集『宿墨詠草』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p365)。

 「夏日永し」中の一首。「みどり児」とは作者の孫。前の歌に「木のかげにつり籠(かご)つるし幼児(をさなご)の眠(ねむり)をまもる母はわが子ぞ」とあることから知れる。わが娘がその子、つまり孫を見守っているのを、父/祖父である自分が見守っているという、幸せな光景である

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