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私の好きな短歌

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私が好きな短歌を紹介します。主に大正、昭和の歌です。時々現代のものも。
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#島木赤彦

私の好きな短歌、その5

夕まぐれ音をひそめて帰り来し子どもは雨に濡(ぬ)れてをるかも

島木赤彦、歌集『切日』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p20』)。

 「赤罌粟の花」中の一首。罌粟が咲くのは初夏という。なぜ子どもが音をひそめて帰ってきたのかは分からないが、子どもは濡れている。情景は明白だが、すべてが明らかではないという魅力がある。子供は雨に濡れてしょんぼりしているのか、あるいは何かに夢中で雨に濡れることを

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私の好きな短歌、その6

枕べの障子一日曇りたり眼をあげてをりをり見るも

 島木赤彦、歌集『氷魚』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p29』)。

 「病床」中の一連。この次の歌から、季節は冬とわかる。何もすることがない病床で、視線だけが部屋の中をさまよい、ときおり障子を見ている。それだけの歌だが、写生であるがために、実感がこもっている。「一日」によって時間の幅が生まれ、長い退屈が表現された。

 1916年(大正

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私の好きな短歌、その7

遠近の烟に空や濁るらし五日を経つつなほ燃ゆるもの

 島木赤彦、歌集『太虚集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p62)。

 「関東震災」中の一首。詞書に「九月三日信濃を発し五日東京に着く。六日下町震災中心地を訪ふ」とある。一首から、焼き尽くされた街の様子が目に浮かぶ。五日を経ってもなお物が燃えている、厳しい状況だ。三句で切って結句を体言止めとして、呆然とした人のやるせなさが描かれ、感情を

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私の好きな短歌、その8

ひと平らに氷とぢたる湖に降り積める雪は山につづけり

 島木赤彦、歌集『氷魚』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p42)。

 「冬の雨」中の一首。湖とは諏訪湖のこと。初句の「ひと平ら」、なかなか出てこない言葉だと思う。二句も出てこないのではないか。読むとなんの引っ掛かりもなくすんなり読めるが、私の中からは出てこない言葉だと思った。
 読みながら視界が足元から流れていき、彼方の山へと導かれる

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私の好きな短歌、その9

あからひく光は満てりわたつみの海をくぼめてわが船とほる

 島木赤彦、歌集『太虚集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p65)。

 「満州」中「二十九日大連出帆」の一首。赤彦はこの年、南満州鉄道株式会社に招かれて満州へ行った。初句と三句の枕詞が一首を古風にし、重厚なリズムを生んでいる。古代から変わらない壮大な風景があり、そのただ中を作者の乗った船が静かに進んでいく。「くぼめて」が見事。これ

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私の好きな短歌、その10

あしたより日かげさしいる枕べの福寿草の花皆開きけり

 島木赤彦、歌集『柿陰集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p80)。

 「恙ありて 二」中の一首。大正15年1月、胃がん発症を確認してから作られた歌。病を知った上で、朝の光の美しさ、それを受けて一斉に咲く福寿草に感じるものがあったのだろう。初春に咲くという可憐な花である。
 作者の病という背景を知らなければ、素直な喜びが明るく表現され

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私の好きな短歌、その11

隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり

 島木赤彦、歌集『柿陰集』より(『日本の詩歌 第6巻』中央公論社 p81』

 作者の思いが真っ直ぐに詠われていて心にひびく。結句の「生きたかりけり」という詠嘆が効果的である。子が書を読む声を聞いて、その将来に思いを馳せ、楽しみに思うと同時に自分はそれを見届けられないだろうという悲しみがあり、ああ、自分はまだ生きていたいのだ、という素直で深い願

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