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私の好きな短歌

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私が好きな短歌を紹介します。主に大正、昭和の歌です。時々現代のものも。
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2022年1月の記事一覧

私の好きな短歌、その41

わが頭蓋の罅を流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき

 斎藤史、『魚歌』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p344』)

 この歌は、これまで紹介してきたような写生短歌ではない。一首では「わが頭蓋の罅」とあり、この「我」は生きてさえいないようだ。歌集の題名が『魚歌』だから、魚の死骸の視点なのか。わからないので勝手な想像を許してもらおう。湖底に水の動きがあり、骨になって横たわっている私の

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私の好きな短歌、その42

つれづれに吾のいで来し雨の日の昼のなぎさに烏ぬれをり

 佐藤佐太郎、『しろたへ』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p363』)

 「つれづれに」は、安易に使うと単に古語を使いたいだけじゃないかと思われそうだが、機会があれば使ってみたい魅力的な単語だ。ここでは初句に用いて一首への導入としている。
 退屈しのぎに雨の日の海に来た、というそれだけのことだが、そこには美しく羽を濡らした烏がい

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私の好きな短歌、その43

ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す

 宮柊二、『山西省』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p371』)

 衝撃的な歌である。中国大陸での戦闘の歌で、まさに人を殺害する時を歌にしている。読者はどこに共感すればいいのか。短歌としての定形に即したこの文字列の背景、その事実の瞬間は血なまぐさい、およそ和歌的に優雅などとは言われぬ、残酷な命の奪い合いの瞬間なのである。

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私の好きな短歌、その44

朝に夕に苦しみ過しし一年のある日道路に蜆買ひけり

 宮柊二、『小紺珠』より。(『宮柊二歌集 p63』岩波文庫)

 1948年(昭和23年)刊行の歌集『小紺珠』の中の、「一年」という題を掲げられた一連の中の一首。「一年」とは、敗戦からの「一年」という意味。一首の前には「直かりし国の若きら面振らず命を挙げて修羅に死にゆきぬ」という歌がある。戦争、敗戦の衝撃はまだ生々しく、苦しい時代だった。その一方

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