さよならジュピター(2024.08.12)
お盆の通常営業。
妻の実家の面々と遊園地へ行く。
行ったのは城島高原パークと言う遊園地。湯布院のすぐそばにあって、標高が高く、比較的涼しい場所にある。
途中、別府インターチェンジの近くを通ったのだが、県外ナンバーが多すぎてびっくりした。いつも長男(8歳)とやっている「どちらがより遠くの県のナンバーを見つけられるかゲーム」ではかつてない熱い戦いが繰り広げられた。福岡ナンバーなんてざらで、むしろ大分ナンバーが少ないくらいだった。
対向車線のナンバープレートには長男が行った事もない遠くの町の名前があった。広島やなにわ、神戸や仙台。
しかし私はぶっちぎりで遠くのナンバーを先に見つけてしまった。「札幌」だ。私は勝利を確信した。そして多分「札幌」は長男には読めない漢字だった。私はそれなのに、普通に勝利宣言をして、今にして思えば大人げなかった。
そうして私たちは城島高原パークに到着した。ちなみに城島高原パークには全国で4番目に長い「ジュピター」というジェットコースターがあって、私はずっとこれに乘りたいと考えていたが、家庭の事情によって今まで乗る事が出来ていない。
さらにちなみに、なぜこのジェットコースターが「ジュピター」という名前かというと、このジェットコースターが木製だからである。木製と木星をかけているのだ。なかなかシャレの効いた名前だと思う。
長男と、その一つ下の甥っ子に引きずられるようにして、私たちは遊園地の中を歩き回った。チケット代の事などつゆほども考えない彼らは、次々にアトラクションを渡り歩いた。矢継ぎ早に。
おかげで私たちの財布の中身はみるみるうちに枯渇していったのだが、私はもう途中で諦めてしまった。「子供たちの思い出のためだ。仕方ない」と思ったのだ。多分、大人たちは皆そうだったに違いない。
だけど、せめて私はジュピターに乘りたいと思っていた。妻や長男にもその事は何度も言っていた。だから最後には流れで「よし、最後はジュピターに乗って帰ろう!」となると思っていた。
しかしそうは問屋が卸さない。私たちはどうでも良いようなゲームセンターみたいなコーナーに吸い込まれ、どこにでもあるようなアンパンマンの乗り物だの、輪投げだの、射的だの、エアホッケーだのといったゲームに興じる事となった。そして子供たちはこれまで乗った馬鹿高いアトラクションと同等、またはそれ以上に盛り上がって夢中になっていた。
次男(3歳)などは、アンパンマンの、もう何十年か前に製造されたような乗り物に乗ってずっと一人にこにこしていた。モニターに繰り返し映し出されるアンパンマンが絶妙に面白かったみたいだった。普段アンパンマンには全く興味を示さないくせに。そしてお金も入れていないのに。
気付いたらもう夕方だった。私はもう「ジュピターに乗りたい」などと言えなくなっていた。私たちの足は自然と出口ゲートへ向かい、そして遊園地を出た。そして私はなんとなくもう二度とジュピターには乗れないような気がしていた。
それから私たちは1時間半もかけて妻の実家に向かった。そして日が沈む直前の海で遊んだ。みんなとても楽しそうだった。長女(4歳)がボート・フロートをお散歩させている光景がとても良かった。
夕飯はバーベキューだったのだが、子供たちはろくに食べず、早々にゲームをしに家へ上がってしまった。私はその見守りで一緒に家に入ったのだが、それから他の大人たち、具体的に言うと妻の家族はやれやれとばかりにゆっくりバーベキューを楽しんでいた。
私は8歳未満の子供たち5人とゲームをしたり、カブトムシを眺めたり、皆をお風呂に入れたりした。ほとほと疲れた。
お泊りする長男を実家に残して、私たちは夜11時半に家へ帰った。私は洗い物をして、妻が風呂に入っている隙に晩酌をした。先日素麺を食べた際に残ったミョウガを3P100円程度の豆腐にのっけて醤油をかけて食べたら、バーベキューの時に食べたどんな肉よりも美味しかった。
そうやって、好きなMVなどを見て楽しく晩酌をしていたのだが、やがて妻が風呂から上がってきて、私は晩酌をやめた。
部屋に退散しようとする私に、漫然とスマホを眺めていた妻が「今日はジュピター90分待ちだったらしいよ」と教えてくれた。
私はその言葉で、自分の気持ちにケリつける事ができた。
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