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痴人のささやき

まるであしおとが聴こえるかの如く
鬱に
陥った痴人がささやく
わたしはそれを錯覚としてあきらかに自覚していた

庭は狭く 名も知らぬ種の一本の古木が生えている
古木は笑う わたしは生ける恥辱の屍
冬の風が北側から吹いてくる
錦の御旗は真っ赤な偽物であり なおも人々を混乱させた

生命を重んずべしと先達が唱える
欺瞞である 怠慢である
滲み出るようにして そこかしこから響き渡る真実の声
そしてまたその声も偽りでしかないことを
わたしは不知不識しらずしらずのうちに知っていた

見知らぬ者同士が唇を重ねる
それはまるで嘘を重ねることにも似て
わたしはわたしと躰を重ねる
微温湯ぬるまゆが大地から湧き出でて
ここは嘆き苦しみ悲しむばかりの荒れ野
斜めに歪んだ視界には
コマ落しの揺らいだ映像が映し出される

「摘出しましょう」
可もなく不可もなく
免状を持たぬ医師はそう云った
左の眼球に鈍い痛みがはし

愚痴を吐き出すために ここに居を構えたのではない
むしろ吐き出したものを呑み込むために
わたしはここで孤独な奇声を発するのだ
仮令たとえそれが虚構であったとしても
わたしはなんら頓着しない

親きょうだい との 離別

視えぬものは視えぬのだと改めて
おのへその緒を切断する
無論 いとま乞いは許されない
密を秘して本音を更にさらけ出す

滝に打たれる行者たち
その身をふるわせて 煩悩
あるいは血潮をたぎらせて 灌頂
日没が近づくと白拍子が揺蕩う

尊き調べが計画を妨げて 般若湯をそそぐ
みそぎに終わりはない その罪は死しても晴れぬ
大勢の人格者が強者となって 罪びとを責めたてる
鬱に
陥った痴人もまた 多くのそれを背負っていた

善人悪人紙一重

いまだ北風は吹き止まぬ 止むはずもなかった

(令和六年)

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