最終章【実録】タイ射撃会社ものがたり それから
前回のお話しです。
半年ちょっとで私の初めての「ちゃんとした」会社の仕事はおわり。
それまでもイロイロここでは言えない「シゴト」はしてたのよ。
それこそ「タイ射撃体験」を辞める最後の引き鉄を引いた大崎(おおさき)なんかとね。
このハナシが書けるのも大崎がもうこの世の人間じゃあなくなったからよ。
50代での最期だったわ。
直接じゃあないけれど耳には入るの、昔の伝手ってヤツ。
多臓器不全、ってことだったらしいけれど、要は覚せい剤の中毒死だったとおもう。
40代から、そう、10年くらい、覚せい剤でシゴトをしていたから。
アレはダメ。
「売り買いだけで自分はやらない」ってみんなそう思って始めるのよ。
でも結局、モノに手を出すの。
そうしたらもうオシマイ。
やりながらシゴトをするのが普通になっちゃうの。
瞳孔が開きっぱなし。
ギラギラした眼に強ばった顔の筋肉。
被害妄想。
大崎はマシなほうだったらしいよ。
10年も捕まらなかったし。
被害妄想もそんなになかったんだって。
観光客にクスリを売って、売春をあっせん。
あいつはバンコクの裏の裏まで知ってたからね。
たとえばパッポンだのタニヤ通りだのの観光客向けじゃなくて、地元のタイ人が行くSから始まる売春街。
Sで売れなくなった女やSで雇われなかった女がパッポンやタニヤに行くの。
女の子も外国人観光客より金払いがいいタイ人の上流層のほうがいいし、コーラ1本飲んですぐホテルに行かされるパッポンより、食事を1時間、2時間楽しんでからゆったりそういうことにおよぶ S のほうがいいに決まっているじゃん。だから女の子のレベルは高いよ。
あとは少女。
言いたくないけれど12歳とか、そういうの。
中国人のマフィアね。
バカ高いけれど、お金さえ積めばそういうルートもあったし、需要も供給もあった。今は知らないよ。あくまで当時のお話しとして聞いてね。
私は女のシゴトはしなかった。
まえにも書いたけれど、同意のないセックスは暴力だっておもっていたから。私がやっていたのは他のシゴト。クスリでもないよ。
沈黙は金なり。これ以上は言いません。
大崎のことは心配なさそうとおもったわ。
「タイ射撃体験」みたいな会社は大崎の性分からして「利用価値のある会社」と見なして、これから出入りするでしょう。
それで私が馘首されたので溜飲をさげるし、会社にはまえの安アパートの住所しか置いてないわ。
この新しいコンドミニアムで、新しいパートナーと、のんびり暮らすのがいいわ。
パートナーには仕事を辞めさせてあったの。
このころは今で言うミニマリストだったかもしれないわね。
本ばかり読んでいたわ。
そう、1年半も。
椎名誠、東海林さだお、高島俊男、ジェフリー・アーチャー、フレデリック・フォーサイス。
論語、荘子、李白、プログラミングの基礎、萌える量子力学、萌えで覚える元素記号。
テクノクラブへもまた行くようになったわ。
でも今度はカップルで。
自慢だけれど、私の若いころはカッコよかった、パートナーも美人さん。
お金もあるから着飾って、シェラトングランデの「リバース」、ノボテルホテルの「スクエア」、独立系では「ベッド」に「Qバー」
毎夜のように遊び歩いたわ。
いくら遣ったんだろう。
昼は読書、夜はクラブ。
そんなマジメなんだか不良なんだか分からない生活を1年半ほど続けていたら、「オマエは不良だ」と決めてくれたわ。
だれが決めてくれたかって?
これ以上ない権力者よ。
タクシン・チナワット首相。
私のビザが降りなくなったの。
「不良外国人一掃キャンペーン」だって。
それまで観光ビザで半年ごとに更新していたんだけれど、そういう仕事もしていない外国人には、もうビザは出さないって。
目黒のタイ大使館で呆然とする私。
いちおう14日かなんかの短期ビザでタイに戻ってパートナーと前後策を練ったわ。
結婚? 婚姻ビザが降りるから。別れて帰国? それはイヤ。二人で日本? それもけっきょく結婚しないとパートナーに日本の長期ビザが出ない。
そこでパートナーが嫌がる私をムリヤリ大学に連れて行ったの。
アサンプション大学。
高校は中退したけれど、大検(高認)だけは取っておいたから。
そのときワタシ、27よ。
でもそれが運命を変えたわ。
全科目英語、テストや授業はもちろん、校歌、学則、果ては職員の就業規程まで英語というこの大学、はじめは英語学科でお茶を濁そうとおもったの。
イギリス留学もしていたし、英語学科ならかるく卒業できるでしょうって。
でもオリエンテーションで気が変わった。
スクール・オブ・ビジネス、商業学校から発展したこの大学は、やはりBBA、つまりMBAの学士版ね。これがいい。
すごい熱気。
タイのエリートが集まったこの大学、その中心のスクール・オブ・ビジネス、ここで学びたい。めちゃくちゃモテたけれど、パートナーがいなければ出会えなかった学問、浮気はしなかった。その代わり、めちゃくちゃに勉強したわ。
3年から専攻が選べるのよ。
私は金融デリバティブ。
卒業して、商船三井の現地法人で3年働いて、大阪大学の修士に行ったけれど、デリバティブはすぐに英語の論文が読めたわ。
計量経済なんかはやっていなかったから学部の授業に出るんだけれど、やる気のなさに驚いた。
いい先生もいるけれど、教授が板書して学生がノートを取る。
アサンプションだったら学生アンケートで一発で降格させられるよ。
最後は兵庫県立大学博士中退、最終学歴は大阪大学修士。
「タイ射撃体験」に入社していなかったら、パートナーにも出会ってないだろうし、大学も行かなかったろーなー
デリバティブの知識を生かした仕事はしていないけれど、おもしろかったなー
おーわーりー