Re:ザルの中のすずめ
じゃがいもは大きくなくては、と思う。
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冬の間居間のこたつに潜る息子たちを、母は叱る事がなかったと記憶している。
ベランダにはみかんのたくさん入った段ボールがいつも置かれていて、それからりんごと一緒に家で採れたキウイの入った段ボールもあって、物干し竿には干し柿がぶら下がっていた。
居間に置かれたタッパーには煎餅やお菓子が入っていて、台所にはスルメやインスタントラーメン、それから冷蔵庫には食材がたくさん入っていた。
石油ストーブの天板でスルメを焼き、インスタントラーメンを作り食べ、みかんを頬張り、りんごを兄と競って剥く。チラシを折って作られた箱に、みかんやりんごの皮や、お菓子のパッケージを入れていく。いっぱいになったらそれをゴミ箱に捨てて、またチラシを折って箱を作る。
スルメはストーブの天板の上で、一度くるりと曲がる。それからまた平らになってきたら焼き上がり。
インスタントラーメンは、鍋に火をかけて、鍋肌からぷつぷつと泡が出てきたら麺を入れてカヤクとスープ粉末を入れる。そこに卵を混ぜ入れて、ネギを乗せたらできあがり。
りんごを剥くときは力を入れない。皮と実にするりとナイフを当てて、回していく。
主にこたつで過ごす冬に、僕の料理の感覚は養われた。
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雪が積もると雪肌にスズメの足跡が残る。ベランダに出てその足跡を見やり、三又のかわいいその足跡が連なり途切れた地点に、スズメがここで空に飛んだことを想像する。キンと冷えた匂いは鼻を刺す。段ボールを開ける音はなんだか耳がくすぐったい。冷えたみかんをいくつか取り出して、居間に戻り、こたつに浸る。
台所では母が煮物を作っていて、その音と匂いが居間に充満している。みかんを剥きながら、じゃがいもの炊け具合を想像する。
母の煮物には、いつもじゃがいもが丸ごと入っていた。中まで染みていて、カタチが崩れてもいなかった。晩御飯にテーブルに並んだ煮物は、いつもじゃがいもが誇り高くあった。
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だから、じゃがいもには誇り高くあって欲しいと、大人になった今の僕はまだ思っている。
今、僕の家にこたつはない。
石油ストーブもない。
確かにあるのは、幼い日の記憶。
あの頃の僕は、とてもあたたかなザルに収められた
かわいらしい、むっくりとしたスズメだった。
雪肌に足跡を残して、スズメは飛んでいく。
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