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書くことはノイラートの船を修理すること

 ノイラートの船をご存知でしょうか。たぶん知っている人は少ないと思います。

哲学者も科学者も大海を漂い続ける一隻の船にみな乗り合わせている。航海中、船に修理すべき箇所が出てきても、そのために立ち寄れる港はどこにもないし、また別の船に乗り換えることもできない。乗員はあくまでも同じ船に乗り続けながら、洋上で改修を繰り返していくほかない。そうして哲学者と科学者は力を合わせて航海という事業を続けるのである。

植原亮 著「自然哲学入門」

 ここでは哲学と科学が登場しています。この話で重要なのはドックに船を入れて大掛かりな修理をするわけにはいかないということです。安全な場所から、この船全体を見回して、こうなっているということを、言える人は誰一人としていないということです。それを超越的なというとわかりにくいので、メタな視点と言っておきます。メタな視点から世界を見ることはできません。哲学はあらゆるものの根底的な理論を与えるという考え方は放棄されます。

 もう一つ重要なのは歴史性ということです。船は人間の一生よりも遥かに長く存続します。そして修理を繰り返しながら、知識を蓄え、船の仕組みを知り、船の使い方を発明します。
 
 ノイラートの船は世界全体とも、社会とも、研究者集団とも言えます。ほかにも言語を表す場合もあります。日本語という言語は歴史的には、はるか太古から存在すると思われます。しかし、古典の勉強をすればわかるとうり、昔の日本語と、現代の日本語はかなり違います。単語という部品も取り替えられ、意味をずらし、文法が変わってしまうことさえあります。

 言葉とはつねに発話され、書かれるたびに生み出されています。この世界に今まで存在しなかった事物が新たに立ち上がり、人へ伝わっていきます。noteという存在もまた船の一部であり、書くことによって船が新しく書き換わります。

 メタな視点を誰も持つことはできず、船の中で右往左往しながら、もがきながら書くこと以外にできることはありません。皆が同じ船に乗っているというと、ひょっこりひょうたん島をイメージします。でももしかしたら、この船ははるか昔に放棄され、無人の船が大海を漂っている幽霊船ではないのかとイメージすることもできます。

 しかし、毎日これだけの数が更新されているいじょう、幽霊船ではないのでしょう。大勢の乗客を載せた客船なのかもしれません。私がPCの前に座って書くときには大海に小舟で漕ぎ出すイメージです。どこにつくかわからない心細い小舟そんなイメージです。

 ノイラートの船は豊かなイメージと意味を私に与えてくれます。これを読んでいる人もまた船員の一人であると思います。

 

 

 

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