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映画感想文「オンブレ・デ・アクシオン」をみて 虚構の物語と贋金作り

 Netflixで映画「オンブレ・デ・アクシオン」をみました。この映画はスペインの映画です。スペインのアナーキストであるルシオが主人公です。ルシオはスペイン人ですが舞台はパリです。スペインからフランス語がろくに話せないのにパリへとやってきます。そしてレンガ職人として働き始めます。

 しかし労働者の間では考え方の違いから党派に分かれています。あるものは、共産党を支持し活動するというようなぐあいです。その中でルシオはアナーキズムへと接近していきます。「オンブレ・デ・アクシオン」とはスペイン語で活動する人という意味です。アナーキストの中でも様々な考え方の違いがあります。

 あるものは理論を重視し、どう活動すべきかを議論します。しかしルシオは議論よりも活動をしたいと考えます。ここでの活動とは銀行強盗です。それが活動する人という意味です。やがて強盗は社会全体からしたら大した額にならないと考え、贋金づくりに変更します。これは大きな転換です。実際の銀行を襲うのではなく贋金づくりのほうがインパクトが大きいです。

 ルパン三世も大泥棒なのですが、だんだん盗むものに苦慮していきます。美術品を盗んでも、美術品をただ高価なものと考えるならいくら高額であってもたかが知れています。だから「カリオストロの城」では贋金づくりを目指すのです。

 贋金づくりというのは不思議です。ルシオも、はじめ印刷所を買い取るときには、ビラを印刷するために印刷所を銀行を襲った金で買い取ります。それを転用して贋金づくりに使うのです。文章を印刷するのではなく紙幣を印刷します。なにかユーモアが感じられます。彼らの活動とは紙に印刷することです。ただお金であるというだけで違法なのです。

 考えを印刷してばら撒くこともできるのに、それをせずに贋金を印刷する。ここにはなにか現代にも通づるものがあるような気がします。私の考えでは哲学もまた贋金をつくることと同じであるような気がします。今まで考えられなかったことを言葉で構築します。でもそれは贋金なのです。

 精巧にできてはいます。ルーペで見ないと違いはわからないかもしれません。でも普通に流通している言葉とは違います。偽物なのです。それをシュミラークルと言ってもいいかもしれません。形而上学と言えるかもしれません。

 私が思い出すのは次の文章です。森敦の「意味の変容」から引用してみます。

きみはあの 薄暗い部屋の蛍光灯の下で、 工員たちが 黙々と 活字を拾っているのを見ただろう。 あれは文選工と言うんだ 。文選工にとって、 ケースにつめられる 活字は たんに 座標上の1点に過ぎない 。また、座標上の1点に過ぎないようになるのでなければ、その文選工はまだ熟練工 ということはできない。 文選工はこうして 活字を文選箱に満たすと、植字工に渡す。植字工はこれをステッキに移し、 符号化し、 記号化して、組み ゲラの上に構造し、 はじめて 意味を生じるものになるのだ。 すなわち、

いかなるものも、まずその意味を取り去らなければ 対応するものとすることができない。 対応するものとすることができなければ構造することができず、 構造 することができなれば 、いかなるものもその意味を持つことができない。

「意味の変容」森敦 著

 構築することがなければ意味をつくることはできません。ここには、ものをつくることの窮屈さがあります。既存の言葉を一旦分解します。そしてもう一度構築するのです。そして、それは多分偽物なのです。本物と思われているものの中に偽物を流通させること、それが多分私のしたいことなのです。


 

 


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