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奥村土牛『牛のあゆみ』を読んで
『牛のあゆみ』奥村土牛 1988.7.9 発行 中公文庫
内容
「土牛、石田を耕す」―寒山詩よりつけた雅号のとおり、歩一符、地道な画業精進を重ね、日本画壇最高峰に至った奥村土牛。百歳にしてなお壮年をしのぐ流麗な描線と端厳な色彩で観る人を静謐の境地に誘い、さらに新境地に挑み続ける土牛芸術の秘奥を明かす自伝。カラー図版12頁、モノクロム図版24頁入り。
日本画家である奥村土牛の自伝です。彼は百歳を超えてもなお、新境地に挑み続けています。生い立ちから始まって、戦後に文化勲章を受賞の頃までのことが書かれています。
とにかく絵が好きで、どんな時でも絵に打ち込んで、独自の画風を確立したことが分かりました。
38歳で院展初入選と遅咲きながら、40代半ばから名声を高め、101歳におよぶ生涯を通じて、日本画制作に取り組みました。
土牛は筆を離すことなく、絵を描き続けます。
この息の長い画業に畏敬の念を抱きました。このような姿に、野見山暁治のようなものを感じました。
80歳を超えてなお、このように語ります。
「私の仕事も、やっとわかりかけてきたかと思ったらいつか八十路を越してしまったー− 私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。むずかしいことではあるが、それが念願であり、生きがいだと思っている。芸術には完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである。余命も少ないが、一日を大切に精進したい」
画業に精進し続けた土牛。誰と比べることもなく、自分の道を淡々と生きる姿に強さを感じました。
印象に残った文章
「技術的にしっかりした人はいくらでも出ます。一応は誰でもうまくなると思います。そこから抜け出ることで違ってくるわけです。」
「君、絵というものは、山水を描いても、花鳥を描いても、宇宙が描けなかったら芸術とは言えないよ」(横山大観)
ここまでお読みいただきありがとうございました。また次の記事でお会いできたらと思います。