![土偶恋話01](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9834842/rectangle_large_type_2_207f5cd0eddb572fa7ce8affbc85dd2c.jpeg?width=1200)
自分とネオ・自分。
友達が、自分というものがあまりにも強すぎて自分が嫌になったときに
佐藤初女さんに会い、「自分が、自分が……ってなってしまうんです……」
と涙ながらに相談した時、初女さんは静かに
「自分を、なくしてしまうこと。」と
おっしゃったんですね。
それを聞いた時私は、
(あまりにも難しすぎる……)と思ったんです。
厳然としてある「自分」を、どうしたらなくすことができるのか。
そのなくし方にたどり着いた人になら「なくしてしまう」ということが
わかるだと思うのだけど、人生の修行が足りない私にとって
自分をなくすなんてことができるのか?
そもそも、自分という物がなければ人はオロオロせずに済むんです。
自分の家が火事だったら半端ないほどオロオロしますが、
他人の家が火事だったらそんなにオロオロはできません。
恋愛に於いては、自分が振られるから辛いし、悲しんだりもできます。他人が振られても、痛くも痒くもありません。
自分があるから喜びもするし、悲しみもする。
私の中の全ての感情を司っているのはこの自分だと思うんです。
そこで、真っ直ぐに自分をなくすのは難しいと判断した私は、
自分の中の自分をなくすのではなく、自分の中に自分ではない自分……
そう。ネオ・自分というものを増やすことにしたのです!
自分の中に自分じゃない人物が現れれば、
自分のパーセンテージは下がるはず。
まず、定義として自分というものを
「自分に向き合っている時間」だとします。
自分のことを考えてしまう時間のことを自分だとしたら、
ネオ・自分は自分ではないので自分のことを考えなくて済みます。
5年前、私は自分の中に「ドグ子」というネオ・自分を誕生させました。
ドグ子は顔が土偶で23歳のOL。「ちょっぴりドジなのがたまに傷だけど、本当はがんばり屋さんで家で電卓を叩く練習もしているの。」自分の中で自分と、ネオ・自分であるドグ子との同居生活が始まりました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9834926/picture_pc_953eac30d88594681d603b851d98a138.jpg?width=1200)
撮影 Tomoko Takamura 弘前城を曳家工法で引っ張りに行った時。この時はナスのきぐるみの上に土偶を被ってました☆
登場人物のキャラクター(性格)というものは、名前と見た目で決まってくるものなので23歳のドグ子のために私はギャル用の衣装を揃えることにしました。私はドグ子のために服を選んだり、靴を選んだりするのがとても楽しくなりました。
そして自分の中のドグ子の勧めで、
「スイッチさんもギャルっぽい服着ればいいドグ~!」と言われ、
気付いたらギャルの服を着ており、ドグ子のことを考える時間が長くなり、ドグ子の行きたい場所に連れて行きました。
ドグ子というネオ・自分になる時、私は頭に段ボール製の
土偶の着ぐるみを着ているので、見た目ですら自分ではなくなります。
ドグ子のことを考えている時、ドグ子がどの場所でどの服装でいたら
その街に映えるかを考えると私は、サッカーに熱中しているサッカー少年の気持ちになってくるのです。
そういった状態になって初めて、いつか田口ランディさんが教えてくれたブッダの言葉を思い出しました。
「ブッダはね、『熱中して生きろ!』って言ったのよ。」
私は、自分の中に生まれたドグ子のことを考えているうちに、気付けば熱中していたのです。
ドグ子のしたいことを考えているうちに、あの、面倒だった自分、自分のことばかりを考えてしまう時間がだいぶ、なくなってきているのを感じたのです。
初女さん、自分をなくしてしまうということは、
なくそうとしてなるんじゃなくて、なくなってしまうことなのですね……?
人生で、まさか自分が土偶になる日が訪れるとは思ってもみなかったのですが。気づけば、土偶としての新しい人生が目の前にあり、それまでの自分とは、違う自分になっていたのでした。ドグドグ。
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