バッチャと子育て~年の差80歳のひ孫育て!~記憶に残るうんこたち
記憶に残るうんこたち
先日、黒石市で1942年生まれの皆さんの集まりに呼んで頂いて、講演をさせて頂きました☆
自己紹介がてら、自分が二児の母なのでつい最近まで廊下とか、トイレの片隅に何か土の塊のようなものが落ちていると思って拾うと、それがうんこだったというお話からスタートに。
家の中にうんこが落ちているだなんて……なかなかスリリングですよね。
どうやら息子がうんこをするのを「できるだけ我慢する」癖があるらしく、ギリギリにならないとトイレに行かないみたいなのです。
それで、ギリギリまで我慢しているから、ほんのちょっと漏れて、ズボンの裾からコロコロと転がっていき、乾いた頃に私に拾われ、発見されるという……。
うんこのことに関しては、ここ何年か話題が尽きることを知らないわが家です。
長男が生まれて1才くらいになった頃、うんこの中から雑誌の切れ端が出てきて驚いたこともありました。「お母さんの雑誌、食べちゃダメでしょ!」と叱った覚えがあります。
その他にもチョコレートの紙箱がうんこから出てきたり、土石流のようなうんこに遭遇したり……うんこには、たくさんの思い出があります。
うんこの思い出から、「初めての記憶」というお話をさせて頂いたのですが、実をいうと私は「初めての記憶コレクター」で、出会った人に初めての記憶を聞き続けてはや10年。どんな記憶がその人の人生の一番最初の記憶だったかを聞くのが大好きなんです。
一番最初の記憶が、自分の帽子が飛んで川に流れていくところだった人や、お母さんにおぶさり、お医者さんに行く途中の道を覚えている人。自転車が倒れてケガをした痛い思い出や、まだ水を洗面器にためて自分で顔を洗えない小さな時に、お父さんに濡らしたタオルで洗ってもらっていたことを思い出した人など。
タオルで上手に顔を洗えなかった記憶があるって、すごいことですよね。
1942年の生まれのおじいちゃんおばあちゃんは、終戦の頃に3才か4才だった人が多いのです。
「一番最初の記憶を思い出した人は、手を上げて下さい!」と言うと、黒石市のおじいちゃんが、「黒石に青森から進駐軍が来るのを見た」とおっしゃって、びっくりしました。
「ハングリーっていうと、進駐軍がチョコレートをけた(くれた)んだ~」
「んだんだ!」
「私は、布団を被って、防空壕に入った記憶があります」
「私の一番最初の記憶は、メリーゴーランドに乗った記憶なんだけど、どうやら小さい頃に東京にいて、黒石には疎開で来たみたいなんだ~」
と……、思わぬところで、終戦の記憶に巡りあいました。
うんこの話をしていたら、幼少期にリアルタイムで進駐軍を見ていたお話に結びつくなんて。ちなみに、バッチャは1928年生まれなので終戦の前後は娘盛りでした。弘前の小高いところにみんなで登って、青森の空襲を見ていたそうですが。「まんどろであった」と、思いがけない表現をするバッチャでした!
まんどろ……津軽弁で非常に明るい様子