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私が子どもだった頃◇夏祭り
夏休みの楽しみの一つが、夏祭りでした。友達同士や家族と、浴衣を着て出かけて、汗びっしょりになって帰っていました。
浴衣を着るのがとても楽しみでした。子どもが着やすいようにおはしょりは縫い上げてくれていました。おはしょりって言うのは、長く仕立てた着物を腰のあたりでたくし上げた部分のことです。成長に合わせて毎年、丈を伸ばしていって、小学校の高学年になると、おはしょりが無くなってつんつるてんの浴衣を着ていた記憶があります。
おじいちゃんがその姿をみて
「また伸びたなー、新しいの新調せないかんなー」と言っていました。
夏祭りの時は、家族みんなで扇風機を奪い合いながら、汗を拭き拭き着替えていました。
おじいちゃんの浴衣の下は、タンクトップに、サッカー地の涼しそうなステテコでした。胸をはだけて、腰の下に帯をぐるぐる回して結んでいましたが、そのかっこうに下駄をはいたおじいちゃん、なんだか男っぽく見えました。
両親は仲良く並んで、私と妹はおじいちゃんと手を繋いで昔話や近況報告をしながら出掛けたものです。
団扇を手に、「暑いなー」と言いながら神社に向かっていました。
少しねっとりとした空気の中で裸電球めがけてやってくる蚊を払いながら、金魚すくいやゴム風船釣りを楽しみました。
私たちは上手に金魚をすくえませんでしたが、ひょいひょいすくっていたおじいちゃんを見て、妹と二人拍手を送っていました。
「おじいちゃん上手いなー、デメキンすくってや」
「大きいんは難しいんよ」
「いっぱいすくってやー」
「家で育てられんかったらかわいそうじゃけんなー」
そんな会話を思い出します。
露天のイカ焼きや、りんご飴はお母さんが「食べられんよー」と厳しく注意するので、ぐっと我慢していました。お母さんはとっても怖かったのです。
大人たちは祭りの帰りに食堂で、ビールの大瓶を注文していました。冷え具合にうるさくて、生ぬるいとお店の人に「冷えてないよ」といつになく文句を言い、子どもたちは冷たい麦茶で喉を潤し、素麺を食べて涼を得ていました。
そろそろ帰ろうとする頃に、花火が上がるのです。真夏の夜空に打ちあがる花火の音と光、浴衣に滲んだ汗と、にぎやかな人々の声、そしておじいいちゃんの下駄の音、祭りの夜のあの余韻、子どもの頃の懐かしい思い出です。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《私はムームー来て夏祭りに行きよった》
扇風機に当たりながら温室みかんを食べているばあばと。
「私の夏祭りの思い出はやっぱり花火じゃねー、行けんときも遠くから見よったわい」
「お母さんは、花火なんか・・・、私とはちょっと違うね」
「そう言えば皆は浴衣を着よったけど、私は昔流行ったムームーを着よったわい、涼しかったし、気楽じゃったけんね」
「ムームー思い出した、ハワイの人が着るワンピースよね、着心地が良くって、結構柄が華やかな、今の人はムームー言うてもしらんわいきっと」
「綿素材でね、着やすかったよ」
「夏祭りの頃の暑さは特別じゃけんねー、団扇が欠かせんかったんよ」
夏祭り、暑い夏の特別なイベントで、家族や友だちとの思い出がいっぱい詰まっています。
【ばあばの俳句】
かにかくに汗をふきつつ小休止
母が毎朝決めているお仕事がいくつかあります。91歳という年齢と動きにくい足であれもこれも頑張ろうと思うと、夏の暑さの中では中々はかどりません。それなので、時折汗を拭きつつ小休止しながら頑張っています。
そんな母の最近の日常を詠みました。
仕事に欠かせないのは、ハンカチと冷たく冷やしたペットボトルのお水です。イラストのばあばの目が疲れを物語っています。
▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」と20時前後には「フリートークでこんばんは」も音声配信しています。お聞きいただければとても嬉しいです。
たくさんの記事の中から、「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただきありがとうございます。
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私のアルバムの中の写真から
また明日お会いしましょう。💗