コロナ禍に私は母とブログを始めた
2020年の春、コロナ禍真っ只中に私は43年間勤めたテレビ局を定年退職した。三密回避の時期、どこにも行けず母と家で顔を見合わせて過ごす毎日が本当にしんどかった。90歳の母は足腰が弱く介助が必要だが気力はとてもしっかりしていて、自分の主張は曲げず思ったことはストレートに伝えるタイプだ。そんな母との生活は退職して1ヶ月も経たないうちに限界を迎えていた。
二人の生活に新しい何かを見つけなければ大変な事になりそうだと思っていた矢先、母が言った。「あんたとおっても癒されんのよ」そう訴えて母は涙ぐんだ。
私はこのままではいけないと思い親子が仲良く生活する方法を懸命に考えた。私の創作へのエネルギーが燃焼出来て母も楽しめるものはなんなんだろう。考え抜いて選んだのがSNSを使って親子でブログを発信することだった。
私は、マスメディアで情報発信していたノウハウを生かしてエッセイを書き、母には長年趣味として続けていた俳句を詠んでもらうことにした。
俳句の発信方法として”イラストと俳句のコラボ作品”を母に勧めたことがそれからの母の人生を大きく変えた。”イラストと俳句のコラボ作品”とは、俳句とその句をイメージしたイラストを合わせて紹介する事で、詠んだ句に深みを持たせるのだ。
始めはイラストを描くことに躊躇していた母も俳句をより多くの人たちに知って欲しいと言う思いから私の説得に応じてくれた。
私が母にイラストを描くことを薦めたのは、母が20年以上絵日記を描いていたからだ。日記に添えていた絵は上手くはないけれど味があった。
ブログを始めてから母はイラストにのめり込み、たちまちイラストが趣味になり、生きがいになった。
私と毋の関係もブログの発信を通じてより深い絆ができた。「ブログをより良くしたい」と言う目的に向かって創作活動をする同志のような特別な絆が生まれたのだ。
コロナ禍に喧嘩が絶えない毎日を送っていた私たちが、協力して親子でブログを発信すると言う選択をしなかったら、私たちは大爆発していたかも知れない。今の親子関係はおそらく生まれていなかっただろう。
私はあの時の選択は間違いなかったと確信している。4年経った今、私たちは毎日ブログを発信をしながら、生きがいのある明るい日々を送っているからだ。
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また明日お会いしましょう。💗
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