私が子どもだった頃◇夏の涼
私が子どもの頃は雨が降ると、土埃に雨が混じって土の独特な匂いがしたものです。舗装されている道路が少なかったからだと思います。その匂いは夕立につながります。
暑い夏は夕立を待ち望んでいました。夕立があると体感温度が下がり、涼しさを運んでくれるのです。
今のように各家庭にエアコンがなかった昭和30年~40年代は、涼をとるのは、扇風機がほとんどでした。だからこそ夕立が待ち遠しかったのです。毎日のように降っていたあの夕立ちはどこにいったんでしょうか。
当時は少しでも涼しく過ごすために、様々な暮らしの工夫がありました。
午後になると玄関先に打ち水をしたものです。バケツからひしゃくで水を汲み、勢いよく、水を撒くのです。打ち水の最中に、通りがかりの人の服を濡らしかけたこともありました。
軒下では風鈴が涼し気な音色を奏でていました。江戸風鈴や南部風鈴、それぞれの個性的な音色を聞くと、1、2度気温が低くなったような気がしたものです。風鈴が騒音なんて言われない時代でした。
夕方には、自宅の前に縁台を出して、ご近所さんと四方山話をしたのもいい思い出です。縁台に座って、路地裏を時折吹きぬける心地よい風を待っていました。
豚の形をした蚊やり豚に、蚊取り線香をつけて蚊の対策をしていましたが、あの煙たい匂いは今では遠い夏の思い出です。
甚平を着たおじいさんが朝顔が描かれた団扇で、私ばかりあおいでくれていました。おじいさんも暑かったのに、本当にやさしいおじいさんでした。
大きなスイカを丸ごと一個切って、縁台でご近所さんと一緒に食べました。おじいさんは塩をつけるのが、私はお砂糖をつけて食べるのが好きでした。
大人たちは枝豆をつまみにビールを飲みながら野球談義に花を咲かせていました。
間違いなく体感温度は今よりも高かったと思いますが、この上なく懐かしい昭和の夏の思い出です。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《あんた、よう覚えとるねー》
夕食にワンタンを食べた後のばあばとの会話です。
「クーラーもありがたいけど昔の涼の取り方、風情があって良かったね、夏は日が沈むんが待ち遠しかったんよ、涼しなるけんね」
「みんなでスイカよう食べよったねー」
「スイカ冷やすんは、大きな洗濯用のたらいじゃつんよ、井戸水で冷やしよったんよ」
「ほーじゃった、お母さんいろいろ思い出してきたねー」
「スイカももう丸々一個は食べれんねー、家族が少ないけん」
「おじいさんがようナイター見よったん覚えとる」
「あんたは、いろいろ覚えとるねー」
本当に一つ一つの思い出が懐かしいです。これからも私の子どもの頃の思い出をたくさん残していきたいと思っています。
【ばあばの俳句】
涼風や句を詠む幸を胸深く
母は句を詠みイラストが描ける幸せを毎日のようにかみしめているようです。私たちはよく、リビングで二人して投稿の、ための作業をしています。お互いに顔和見合わせて「私たちは変わった親子じゃねー」と言っています。
本当にその通り珍しい親子だと思いますが、私も母も創作活動の場所が見つかって、毎日がとても充実しています。
▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」と20時前後には「フリートークでこんばんは」も音声配信しています。お聞きいただければとても嬉しいです。
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また明日お会いしましょう。💗
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