スパゲッティは都会の魅力
今でこそ、欲しいものがあればネットですぐに購入できますが、私の青春時代はそうではありませんでした。50年くらい前のお話です。
私が育ったのは愛媛県松山市、四国の地方都市です。
当時はこんな風に言われていました。
「松山の人は東京に目が向いとるけん、東京で流行って半年してから松山で流行るんよ」
東京で黒が流行ったら、半年後に黒のブームが松山にやって来ると言う感じでした。
その頃は雑誌で目にする若者の最新ファッションを松山で購入するのは難しかったのです。
それがすぐ手に入るようになったのは、街の商店街に「ラフォーレ原宿松山」が誕生してからです。
東京の表参道にあるラフォーレ原宿の地方出店の一号店として、ラフォーレ原宿が松山に誕生したのが1983年でした。
ラフォーレ原宿松山はその後、愛媛の若者のトレンドファッションの発信基地として、多くの若者たちに愛されました。
ファッションに関してもそうですが、食べ物だって同じでした。
都会では当たり前に知られていた食べ物が、愛媛ではまだ珍しくおしゃれに見えていたのです。スパゲッティもピザもドリアだって。
私はスパゲッティを生まれて初めて食べた時、とても興奮したのを覚えています。高校2年生の時でした。
昭和46年に松山市のターミナルステーションに、「いよてつそごう」と言うデパートが誕生しました。そのデパートの二階に、カジュアルなパーラーが出来て、高校生の間ではそこで食事をするのがトレンドでした。
人気のメニューはスパゲッティです。
鉄板の上に玉子が敷いてあって、その上にケチャップ味のパスタが乗っているスパゲッティ「鉄板ナポリタン」です。
お店のスパゲッティには大きなフランクフルトがゴロンと一個トッピングされていました。
私はそこでスパゲッティなるものを生まれて初めて食べて、この上なく美味しいと感じました。あの感動は、今も忘れられません。
「スパゲッティってこんな味なんだね、見た目もおしゃれだけど、卵が敷いてあるのがいいよね」
「でも、いっつもは食べれんねー、また今度お小遣いが溜まったら、こうや」
友人とこんな会話をしたのを覚えています。
それから私にとって鉄板ナポリタンは高校時代のちょっと背伸びをした思い出深いおしゃれな食べ物になりました。
今でもレストランで鉄板ナポリタンを見るとついつい頼んでしまいます。
東京生まれの食べ物だと思っていましたが、その後、鉄板ナポリタンは名古屋が発祥だと聞いて驚き、「あれっ」って思った事があります。
愛媛県の西条市はここ数年、てっぱんナポリタンで町おこしをしています。
卵を使って鉄板でスパゲティを出しているお店のマップを作って、ご当地グルメとしてPRしているのです。大正時代創業の老舗の洋食店でも人気のメニューになっています。
私が青春時代、都会をイメージしていた鉄板ナポリタンは、今や懐かしのレトログルメになりました。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《ブームは次々に変わっていくねー》
「今は、流行したら割に早く地方にもくらいね、昔から考えたら相当違わい、都会と愛媛の差はほとんど無いような気がする」
「ほじゃけどブームが去るんも早いわい」
「カップケーキ、メロンパンからタピオカドリング、色々あるけど店はどんどん変わりよるねー、ずっと人気を保つのは難しいわいね」
2022年、次にブームが来るのは何なのでしょうか。興味を持って見守りたいと思っています。
常連の道後カレーや春の昼
母は松山市の観光地道後にある「オーベルジュ道後」のレストランイルポジターノ」のカツカレーが大好きです。
じっくりと炒めた玉ねぎがベースのマイルドなルウがお気に入りです。
カツには柔らかくてジューシーなブランド豚「甘とろ豚」を使っています。
母は暫く食べていない、そのカレーを食べたいと思いこのコラボ作品を創作しました。
常連なので店内のイラストもすらすら描いていました。
最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。
また明日お会いしましょう。💗