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子どもの頃は分からなかった映画「生きる」

日本の偉大な映画監督として必ず名前が挙がるのは黒澤明だろう。監督の作品に触れて映画の魅力に引き込まれた映画ファンは日本のみならず世界に数多くいる。

映像は100年残ると言われているが、黒澤明監督の作品はきっとこれからもずっと多くの映画ファンやクリエーターに影響を与え続けるだろう。

私は子どもの頃に、黒澤明監督の「生きる」を見た。

小学生だった私は、白黒の映像の中の人たちの姿が何となく怖いような気がしていた。映画の中の大人たちの会話はよく理解できなかったが、登場人物たちの洋服を見ながら、人間の格差のようなものを感じていた。

特に主人公を演じていた志村喬しむらたかしが「ゴンドラの唄」を口ずさみながら帽子姿でブランコに乗っているシーンが切なく印象に残っている

モノクロ映像の中に描く様々な人たちの姿から、人間社会の闇の部分を見たような記憶が残っている

それから今の年齢に至るまでに「生きる」を何度も見てきた。不思議なことに見る年代によって、見終わった時の感想が違っていた

私が会社を定年退職する時に人生何度目かの生きるを見た。その時、初めて映画の内容がダイレクトに伝わってきた

私は驚いた。
黒沢監督がこの映画を社会に初めて送り出した頃と今は、時代はもちろん変わっているが社会の根っこにある問題はほとんど変わっていないからだ。

黒沢監督が生きるで伝えたかった社会の理不尽な仕組みやモラルはさして変わらない。「生きる」には人が生きていく社会の普遍的なものがしっかり描かれていた

70年以上も前に「生きる」を制作し世に送り出した、監督の人間力に驚嘆する。黒澤監督は本当に凄いと思う



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