女の子が人になる時
3月3日「雛の節句」です。
私も女の子ですから。今日は私のことを考えてみます。
私は、67年前に生まれました。
幼い頃のことは母に聞くしかありません。
「あんたは小さい頃は人懐っこくて、誰にでも抱っこしてもろて、ニコニコ笑いよったわい」
自分自身には、赤ん坊の頃の記憶はありません。赤ちゃんの頃の写真を見ながら母の言葉を聞いて、当時の私を想像します。
母に言われて、「へー、人懐っこかったのか・・・」と意外でした。
私は成人しても人見知りで、何となく自分を素直に出すことが出来ないタイプの女の子でした。
人と話す時にいい子を装うのです。人に嫌われたくないと思いながら生きていたように思います。
言葉で人を傷つけないように、人から嫌われないように、波風が立たつことを恐れて、自分の感情を抑え、我慢して生きてきました。
本当の自分を人前に出さないことが美徳のように思っていたのです。そんな私は人に嫌われることも、特に好かれることもありませんでした。
小さい頃は、父の仕事の関係で田舎で育ち、とてもお転婆な女の子でした。山でターザンごっこをしたり、忍者ごっこをして元気に遊んでいました。
人としゃべる時には甘ったれた可愛いい声で話していた記憶があります。声がワントーン高ったかもしれません。
「ゆっこはね、・・・」と自分の名前を会話の中でよく使っていました。
意識することなく私を演出していたのかも知れません。
成人しても、嫌われたくない性格は変わらないで、40代くらいまで自分の事はあまりしゃべらず、人の話ばかりを聞きながら生きてきました。
友人たちと食事に行って、注文する時も、自分は別のものが食べたくても我慢して人に合わせていました。自分の考えがあっても人に合わせることを優先にして、自分の本心を隠していたのです。
でも70歳を前にして、私は変わりました。
最近は、自分の思いを抑え込んで、他人に合わせることも少なくなり、やっと自分の本音を人に伝える事が出来るようになりました。
女の子から一人の人間に変わったんだと思っています。
随分、成長が遅いなと感じますが、やっと自分の考えを自分なりに発言してもいいんだと思うようになったのです。
その根底には、人に好かれるのではなく、自分を大切にすることで自己主張をしながら、他人を理解しようと言う思いが、生まれてきたんだと思います。
本当に遅すぎる自我の目覚めです。
私は最近やっと女の子から、一人の人間に成長したんだと思います。
70歳を前にして、やっと人になりました。
雛の節句に女の子から人になった私のお話をさせていただきました。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《自分のええとこを伸ばしたらええ》
「長旅の時に私がバスに酔いよったんよ、そんな時あんたが人懐っこかったけんみんなが抱いてくれて助かったんよ、ほじゃけどあんた、最近はむつこいわい、私は何でもケロッと忘れるけど、あんたは見かけによらん」
「むつこい・・・」
「だんだん成長しとらいねー、まあ、自分のええとこを伸ばしたらええんじゃけどね」
私が母に日々口やかましく言うことを、母にむつこいと言われてしまいました。女の子の素直ないい所も忘れないようにしておかなくてはと思いました。
純粋な女心や雛祭
ひな祭りはその昔、季節の節目である節に、川に人形を流して邪気を払う
流しびなの行事から始まって、今のようなひな人形を飾るスタイルになったようです。
母は雛の節句に、女の子らしい純粋な気持ちを娘に忘れないで欲しいとこの句を詠みました。いくつになっても母が願うように素直な気持ちを持っていようと思います。
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