私の社会性はnoteに頼ろう
会社を定年退職で卒業するまでの私は毎日、たくさんの人たちと係わりながらの日々でした。私と言う存在を主張しながら、多くの人たちの思いを生かしながら様々な仕事をこなしてきました。
仕事を通じて、社会と繋がり、係わることが出来ていました。
ところが、定年して、会社と言う組織から卒業すると、自らが、社会との関係を作らないと、どこにも所属することがない、根なし草になってしまいます。
それではだめだと思い、フリーでアナウンサー活動をする道を自ら開いたつもりでしたが、コロナ禍で、想像していた形にはなっていません。
そこで、私が考えたのが、ネットの中で繋がることによる社会性です。
今は、見えない人達との係わりがまだ充分に、掴めていませんが、私はnoteの世界で、社会との繋がりがを続け、自らの社会性を保とうと思っています。
この新しい世界で、私が人として何を掴む事が出来るか、これから私の目で、見つめていこうと思っています。
より良い形が見つかったら、また、記事で、ご報告します。
今のところは、いいペースで進んでいると思います。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《私はこの世界が嫌じゃないよ、居心地がええ気がする》
夜10時を過ぎて、まだ創作活動をしているばあとの会話です。
「あんた、しばらくこのまま続けてみたらええんじゃない、あんたは人の顔見て人と係わるような、社会性がええんかね・・、私はこの世界が嫌じゃない・・・ネットの社会もええと思うよ」
「お母さんから、意外な発言が出てきましたよー、なんで・・」
「人の顔見て係わりよったら嫌なこともあろう、私にはネットの世界の距離感がええ気がするんよ・・・」
「お母さん、noteの人たちはやさしいし、分別があるけんかも知れんよ」
「まあ、とにかく、もう少し続けとうみや、それで成果がないとか、嫌じゃったら何時でも辞められるんじゃけん、私はここがええわい」
私は母とのさりげない会話だったはずなのに、ものすごい答えが返ってきたなと思いました。私と母、合わせて156歳の会話から、ネットの果てしない可能性が見えた、気がしました。
【ばあばの俳句】
早起きのネット配信浅き春
季語は浅き春です。立春を過ぎても、まだ冬の気配が色濃く残っているけれど時折、生活の中の色々なシーンで、春の色や気配が見えてくる、そんな時期を言います。何となく、明るい明日が見えるそんな兆しが感じられる季語ですね。
母は、朝起きてnoteの発信をする時、皆さんの心に響くといいな、笑顔になってもらえればいいなと思う自分の気持ちを重ねて詠みました。
毎日の生活の楽しい始まりの時です。今日の発信は、皆さんにどんな風に伝わったのか、今もとっても気になっています。
▽「ばあばの俳句」「毎日がバトル:山田家の女たち」は毎日、音声配信しています。聞いていただけたらうれしいです。
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私のアルバムの中の写真から
また明日お目にかかります💗