退職して母と向き合って
私は親元を離れて過ごしたことがありません。最初は両親と妹との4人暮らしでした。それから妹が独立し、父が亡くなって、私と母との二人だけの暮らしになりました。
父が亡くなってから13年余りは、私が現役で忙しく働いていたので、母の変化を身近に感じることがありませんでした。
一年半前に65歳で定年退職して、コロナ禍も重なって、母と二人顔を合わせて生活する時間が長くなってからです、人が年を取るとはどういうことなのかを学ぶこになりました。
私も前期高齢者なので、これから一年また一年と歳を重ねていく毎に老いていきます。これから歳を重ねていくと言うことがどういうことなのか、それを母が私に見せてくれているのです。人生の申し送り事項のように。
私の母は昭和5年生まれの91歳です。
とにかく負けず嫌いで音を上げない、性格的には可愛くないかも知れないけれど自分を持っている素敵なおばあちゃんです。若い頃は今以上に推しが強くエネルギーに溢れていたので、私が言葉で母に勝てることなどありませんでした。
ところが、最近、二人が喧嘩をすると、母が手で顔を覆って、泣きそうになる時があります。それは常に私が正論で押し通す時です。そんな時は気丈な母の心がぽっきり折れているのだと思います。
「私が言っていることが、おかしいなと思っても、適当に流して、そうだねーと聞いてくれていたらいいのに、正論ばっかり言って、私は誰に愚痴を言うたらええんぞね、心が休まることが無い、家族はあんただけなのに」と言ってきました。
私は分かってはいるのですが、母親にはいつまでも尊敬できる大人でいて欲しいのです。だから間違ったことに対して「そうだねー」とは言えないのです。
私は母を見ていて思いました。
主人と言う大きな後ろ盾が無くなった時に母親は寂しさを感じるんだと。だから娘にうなずいて欲しいのに、娘はそれはおかしいと言う、それで思いっきり寂しくなるのでしょう。
歳を取ると心が弱くなるのです。まさか母からそんなことを学ぶとは。
足腰がおぼつかなくなって、自分が思うように歩けなくなると、いろいろな事がしんどくなって、めんどくさい事は出来るだけ避けるようになります。今まで出来ていたことが出来なくなる恐怖とやるせなさを母は感じているのでしょう。
疲れることはしなくてもいいし、言ってくれれば私がやるのにと思いますが母は自分が出来なくなっていることを自覚するのが辛いのです。それは気丈な人だから尚更なんだと思います。だからムキになってやろうとしています。
無理は禁物だと思いますが、やり遂げようと思う母は老いに立ち向かう戦士のような心なのかもしれません。そんな母の心が見えるのです。
母は最近私に頼むことが多くなりました。やりたいけれど出来ないから頼むのです。やりたいけれど出来ないもどかしさも見てとれます。できるなら頼みたくないけれど残念ながら自分ではやれないのです。
負けず嫌いの気丈さが、彼女の心の中で葛藤しているのも分かります。老いるとはこれまで当たり前にできていた様々な能力をもぎ取られ、人に甘えることを覚えるんだと知ることになりました。
私と母が一緒に生活していなければ、コロナ禍で毎日二人きりで自宅にいる日々にならなければ、私は気づくことが無かった母の思いや母の変化を知ることになりました。
それに気づくことで私は「老いる」と言うことについて深く考えるようになりました。母と向き合うことで私は人生を学んでいます。
たくさんある投稿の中でこの文章にたどり着いて最後まで読んでいただいてありがとうございました。本当に嬉しいです。