人生に無駄な時間はないと信じたい
これは私自身に言い聞かせている言葉です。
これまで67年間生きてきて、様々な出来事がありました。
思い返してみると、誉めらないことや、恥ずかしいこと、思い出したくないこともたくさんあります。でもそんな経験のすべてが、私自身の血となり肉となり、血液となって流れています。
だから私がこれまでに経験したすべての事は、無駄にはなっていない「私は無駄な時間は過ごしていない」と思っています。
以前の私は、「私の人生はこれで良かったのかな」と思うことがありました。
失敗もあるし、人を傷つけてしまったこともあるかも知れない、でもそうした経験は私にとって必要であったと認めて、今は私自身を愛そうとしています。そうでなければ私自身を否定することになるからです。
失敗を糧にして、人生を受け入れて前に進む力が持てるようになりました。
それは67歳と言う、この歳になって思うことです。
まだまだ若い方たちは、自分の周りに起きることや対応する自分自身に不安を感じたり、嫌気がさしてしまうことがあるかも知れません。
「どうして私はこうなんだろう、もっときちんと生きられないのか」と思い自分を嫌いになるのです。私もそうした時期がありました。
しかし私の人生は唯一無二のもので、他の誰も変わって生きることは出来ないのです。だからこそ、自分の人生の中での様々な経験を無駄だと思わず、その経験を生かす方法を考えて、私自身が納得する生き方をしようと思うようになりました。
私はそうしてこれまでやって来て、間違いはなかったと思います。
失敗や反省すべきことが多ければ、それだけ人を許容することが出来るのだと思います。
他人の事を理解できる器の広さを学んだと思って、今の失敗や不安なことから逃げないでくださいね。
いつか歳月が経ったときに、それが自分の肥やしになっていると思う時がきっと来るはずですから。
私は今、これまで経験した恥ずかしい事や辛かったこと、人として未熟だった対応などすべてを受け入れて、私自身の生き方を愛しています。そうすると自分に自信が持てるようになりました。
だからこそ私は、人生に無駄な時間はないと思っています。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《聖人君子はそうおらん、自分のいい所を伸ばすんよ》
「自分の言葉で相手が傷ついていることもあるよ、人は自分と同じように思うとは思わんで欲しい、悪い事に気付いたらそれを改めて肥やしにして生きたらええ」
「お母さん、何だか私の事を言ってるみたい」
「人間は聖人君子はそうおらんけん、気づいたことはええことよ、自分のええところを伸ばしたらいいと思う、それで人間は成長するんよ」
母は無駄な時間ではないけれど、自分が間違いを犯したと思うことに気付いた時にはそこでしっかり反省をして欲しいと言っているようです。その通りだと思います。
早起きの木々の芽吹きの愛しさよ
母の日課は庭の木々の変化を楽しむことです。
少しずつ暖かくなって庭先の木の芽がほんの少し芽吹いているのを見ると
エネルギーを貰って自分自身も元気になるようです。
そんな日常の一コマを詠みました。
年齢を重ねると小さなことに喜びを感じるようになりますね。
最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。
また明日お会いしましょう。💗
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