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感想記「光る君へ」第36回から第40回まで


旅行記の枕話としてこれまでNHK大河ドラマ『光る君へ』の感想を書いてきました。

今回は第36回から第40回までの感想をまとめています。それだけだとつまらないので当時の感想を振り返る「あとがき」を追記しました。かなり読み応えのある文章量(全部で14,000字強)となっていますのでお時間あるときに読んで頂けたなら幸いです。長文を読むのが苦手な方やドラマを観ていない人にも楽しんで頂きたいので、やわた里山たけまつり2024の写真を載せました。

それでは感想記「光る君へ」をご覧ください。


目次




はじめに


平安貴族をテーマにした大河ドラマということで感想記の中に「宗教」「政治」の話が出てきます。現代の状況を例に挙げていていますがそれらはすべて私見であり、皆様に私の思想や理念を押しつける意図はまったくございません。もしかしたら不快な表現があるかもしれません。不適切な言葉が見つかり次第、随時修正をしますのでご容赦くださいませ。

あとここを討論の場にするつもりはありません。見解の相違をご主張されたい方はここと関係ないところで書いて頂けると助かります。相互不干渉でよろしくお願いします。



第36回『待ち望まれた日』


大河ドラマ"光る君へ"第36回『待ち望まれた日』観ました。

はい、ひょっこりはん!

可愛い登場をなされた敦康あつやす親王さま。出産準備のため里帰りする予定の中宮彰子との一場面はさながら第二子誕生で寂しい思いを抱く長男のようでしたね。子が出来たらきっと自分は見捨てられるだろう。幼いながらも達観した表情の敦康さま。物心付く前から共に過ごしてきた仲ではないですか。裏切るようなことは決して致しませんと彰子は返答します。のちの二人を知る身からするとあまりに切なすぎて、しかし権力がすべてではないとする道長の考えに同意するならば親王ののちの選択は間違いではなかった。そうみることが出来ます。巨大な権力を手にしても絶対の幸せが得られるとは限らない。『光る君へ』の作品テーマです。


しばしばしばしば
ひそひそひそひそ

"左衛門の内侍"の諫言は完全に的外れだ。視聴者の多くはこう思っているはずです。自分の無能さを棚に上げて何言ってんだこいつ、と。ただならぬ関係であるのはまぁ真実です。しかし左大臣道長は根拠なくまひろを女房に抜擢したわけではありません。素晴らしい物語を書く女がいるという噂を聞いてそれがまひろだったという偶然の積み重ねがあってのこと。決して贔屓ではないことを視聴者の多くはわかっています。

とまぁ真面目に考察しましたが鈍感な私もさすがに大石静脚本を理解してきましたよ。終了間際の「引き」は決して本筋に深く関わるモノではないということを。そもそも現在進行系で逢引している二人ではないし、道長の子たちを見て複雑な顔をしていたまひろだし、予告でオリジナルキャラが登場していたのでこれ以上尺を取ることはできません。この諫言騒動が長引くことはないと思われます。


『人の心の好悪 甚だ常ならず
  好めば 毛羽を生じ 憎めば瑕きずを生す』

心の移り変わりを説くまひろと亡き後も敬愛を貫くききょう。正反対の二人。不倫を猛烈に叩く昨今。私は移ろいタイプの遊牧民なので不倫された側に同情することはあっても不倫した人間を叩く気にはなれません。美貌を持ちながら一人しか愛さないなんてもし私がそうなら絶対ムリです。誰もが羨む美しさがありながらそれでも一筋を貫ける人は世の中に果たしてどれだけいるのでしょうか。

『あなたの知らない京都旅~1200年の物語~』京都・神光院にて西郷隆盛の心を動かしたという無私の人、大田垣蓮月がフィーチャーされていました。絶世の美女で若くして結婚したものの幼い三人の子どもと夫を失います。出家してなお男に言い寄られた蓮月はなんとすべての歯を抜いたそうです。もう恋愛したくないと言葉にする人はいてもここまで為した人はいません。蓮月焼で儲けたお金のほとんどを丸太町橋建設に投じた大田垣蓮月。もし紫式部が彼女と出会っていたなら、源氏物語はもっと大きな広がりを見せていたのかもしれません。


「帝のお喜びになるお顔を思い出してくださいませ」

初出産を控えて不安になる中宮彰子に藤式部ことまひろはこう助言しました。つまりまひろはあの人の顔を思い浮かべながらお産に励んだことになります。滋賀県大津市で行なわれたトークショーで裏話が語られました。不義の子を産んだ経験を糧にして源氏物語が舞い降りてきたと。真実と虚構のどちらか一方だけでは面白い物語にはなりません。作者の願望や歩んできた人生を絶妙に織り交ぜることで作品に深みが出るのです。大河ドラマは歴史に忠実であるべきだと主張する人がいます。しかし歴史そのままのストーリーを楽しめるのは歴史マニアだけ。歴史は歴史、ドラマはドラマ。それでいいじゃないですか。お化け屋敷に本物がいたら困ってしまいますよ。

真夏の嵐山日帰り旅「満足感と疲労感をあとにして阪急嵐山駅」より引用


「一ノ鳥居」


「官幣大社時代の社号標」


私は嫉妬やイジメがメインになっているドラマが大嫌い。

陰湿すぎると気が滅入ってしまい一日中モヤモヤ。一話完結でスカッとしたオチがないと次の話に進めないくらいダメなんです。日本は橋姫伝説など嫉妬話がたくさん残っていますので歴史モノを描く際はどうしても避けられない要素になっています。紫式部が清少納言の悪口を日記に書いたのは有名な話。大河ドラマが始まる前、そういった面が強調されるのではと心配していましたが杞憂に終わりました。陰口や悪口は自分に関係ないことでも聞いてて気持ちのいいものではありません。いじめをこれでもかと描く大ヒット作品ありますよね。どんなに世間的に評価が良くても私は見ることができません。『光る君へ』はとてもあっさりした内容だったので安心して視聴することができました。
ちなみに道長がイジメられることについてはなんとも思いません。権力者なんだからそれくらいは我慢してよねといったところでしょうか。

2024/11/19《あとがき》



第37回「波紋」


大河ドラマ"光る君へ"第37回「波紋」観ました。

心の声
「なんだか この家がみすぼらしく思えた」

私も同じ感想を抱きました。え?まひろの家ってこんなにもしょぼかったっけって。このようなメタフィクション発言は一歩間違えただけで世界観を一気に崩壊させてしまいます。自然なセリフだったのでこれに関しては成功の演出と言って差し支えないでしょう。


単身赴任をしていた仕事熱心の父。

数年ぶりに我が家に帰宅して子から冷たい扱いを受けるのは『家族あるある』です。子は生まれたときから扶養者の世話になっているので養ってもらっているという感覚はありません。子育ての大半をおじいちゃんに任せてきたまひろ。賢子は当然母に反発します。しかも彼女は十歳という反抗期まっさかりのお年頃です。優しいおじいちゃんとお姫様と呼んでくれる従者に囲まれて十分幸せなのに贅沢言うな、とテレビに向かってつい口をだしたくなります。まぁまひろと同じ書物大好き娘ということなのでそう遠くないうちに老子の言葉「足るを知る」を学ぶことでしょう。あと本当は構ってほしいのにキライだと言ってしまうのは『青春あるある』ですね。素直になれない気持ちの描写はドラマでたびたび使われてきました。令和時代になってもなおこの演出が使用されるのは視聴者や読者の共感を得るのに適したモノだからになります。ほとんどの人が同じ道を歩んできましたからね。


誰もしたことがない斬新な表現をすれば作品は絶対面白くなる。

そう考えるクリエイターが時々現れます。大阪・関西万博にて750個の石をネックレスのようにつるす万博休憩所。その完成図を改めて見ました。やっぱり変でした。大河ドラマは極論を申すと「ありきたり」で良いのです。輝かしい実績と演技に定評のある俳優陣に豪華な設備、一級品の衣装・大道具・小道具が揃っていますからよほどのことがなければ失敗はしません。著名な脚本家が朝ドラや大河で大ゴケするケースを最近よく目にします。民放のワンクールドラマと同じ手法を用いてもうまくいきません。自我を作品に出して自己顕示欲を爆発させるなんて以ての外です。特に大河ドラマはチームワークが重要なので脚本家のこだわりに構っている余裕はありません。そもそも視聴者はそんなモノを望んでいません。歴史という偉大な原作があるドラマにおいて個性というの名のスパイスは一粒で十分なのです。


藤原伊周と隆家の兄弟ドラマ最高に面白いですよね。

史実では伊周はあそこまで四面楚歌ではなくて定子の第一皇子・敦康親王さまに慕われていたらしいです。ただソレだと道長との対立構造が曖昧になってしまうので大幅に改変されました。呪詛に勤しむ藤原伊周の傍らで、弟の藤原隆家は現実主義者として左大臣道長一派と真正面から向き合います。若い頃に過ちを犯した人物がのちに国を救う英雄になる。時代劇としてめっちゃワクワクする展開じゃないですか。織田信長や徳川吉宗も若気の至りでみんなに迷惑をかけてのちに大成しました。

追儺(鬼遣らい)のシーンとともに三代目のオリジナルキャラクターがついに登場しましたね。賢子が盗賊に興味を抱くシチュエーションは直秀とまひろのセルフオマージュになっています。イヤミな言い方をするならば柳の下の二匹目のドジョウを狙うですね。母が辿った道を娘はどう進んでいくのでしょうか。次回以降も楽しみです。

京都のよもやま話「嵐山古民家カフェの騒動とか」より引用


「神門①」


「放生池」


現在第44回視聴が終わったところ。当時みすぼらしく思えたまひろの実家はもう見慣れました。思春期だった賢子と仲直りをして娘の想い人がご飯を食べにやってきて笑顔あふれる居心地の良い空間になりましたよね。政治権力が渦巻く殺伐とした内裏とは雲泥の差ですよ。そりゃ偉い人たちは宇治で癒やしを求めますわ。

そういえば藤原伊周のことをすっかり忘れていました。怨霊といえば菅原道真公が有名で多くの人に知られています。彼も太宰府へ流されましたが御霊神社に祀られもせず謡曲でうたわれることもありません。これはドラマで描かれていたように人望も才能もなかったゆえなのでしょうか。藤原伊周の後世の評価はとても寂しいように感じます。

2024/11/19《あとがき》



第38回「まぶしき闇」


大河ドラマ"光る君へ"第38回「まぶしき闇」観ました。

イヤミの先制攻撃を仕掛けたまひろとお久しぶりのききょう殿。このままクドクドと褒め殺しを申すのかと思いきや、最後にハッキリと源氏物語を憎んでいると作者であるまひろ本人に思いを伝えました。私はネトネトコソコソヒソヒソが大嫌いなので、藤原伊周の陰湿な呪詛に毎回腹立たしく思っていました。それに比べたら今回のききょうはとても潔くてまひろを応援している側ではあるけれど見てて清々しかったです。死してなお皇后定子の身内を支えるききょうの心意気。私なんて光る君の如く推し変ばかりする人間ですので純粋に尊敬します。余談ですが、私は何かを絶対的に信じる人によく嫌われます。尊敬していることに嘘偽りはないんですがね。京都とか宗教とか多面的に分析する行為が一途の人にとっては気に食わないみたいでまさにまひろとききょうの構図と同じになっています。


『書くことで己の悲しみを救う。まひろ様の言葉がなければ私は死んでいたかもしれない。書いているうちにまだ生きていたいと思うようになった。』

和泉式部の言葉に甚く共感をしました。私も恋に破れて病で母がいなくなり、生きる目的を失って誰かのせいにすることもできず終わりを考える様になりました。ふと学生の頃に大好きだった京都のことを思い出し、これまでの人生を振り返って今文字を書いています。仰々しい言葉になりますが一言一句がワタシの遺言みたいなものです。誰かの役に立ちたくてついでに自分のためになっているって感じですね。


あかね(和泉式部)
『書くことで命が再び息づいてまいったのです。』
まひろ
「書いていればもろもろの憂さは忘れます。」
あかね
『お仕事なのですね。』

二人の会話は並の女房では理解不能だったことでしょう。漢字の「忙」は心を亡くすと書きます。忙しくすることで悲しみや苦しみの感情を遠くへ追いやる。マンガやドラマでもそういう演出が時々見られますよね。まひろの源氏物語への思いをお仕事だと表現した和泉式部。この意味深な一言に視聴者は様々な思いを張り巡らせます。和泉式部は自分のために書き、紫式部は読者のために書いている。だから「仕事」という表現をしたのだと私はイメージしました。

そういえば第38回で一つ気になったことがあります。藤原斉信が一言も発しなかったんです。何度も登場シーンがあったのにセリフがなかったのでかなりの違和感を覚えました。喉の調子が悪かったのでしょうか。真相が語られるかもしれないということではんにゃ金田さんの配信動画を観てみました。単に私の杞憂だったみたいです。

京都本「京都ぎらい」井上章一より引用


「神門②」


「八幡市の竹細工」


まひろとききょうの対決は恨みの念が消え去り終息に至りました。

人を呪うなんてのは死んだ後ならともかく生きているうちにはしないほうがいいものです。自分自身を苦しめることになりますからね。ここだけの話になりますが私も一生許せない人がいます。でも寺社仏閣で縁切りを願うことはしません。大切な人の縁まで切ってしまいそうな気がするからです。まひろは母の仇に対し寛容の心を持ち続けました。生きている人が復讐心に囚われていると死んだ人は決して浮かばれません。

さて恋多き女性・和泉式部。彼女の再登場は果たしてあるのでしょうか。平井保昌との逸話はけっこう面白いんですけどね。もう残り四話となってしまったので描かれることはなさそうです。

2024/11/19《あとがき》



第39回「とだえぬ絆」


大河ドラマ"光る君へ"第39回「とだえぬ絆」観ました。

涙・涙・涙の展開でしたね。藤原惟規ふじわらののぶのりが退場してしまったので今回は特別に俳優・高杉真宙さんについての思いを存分に語りたいと思います。


初めて拝見したのは特撮ドラマ『仮面ライダー鎧武/ガイム』です。当時の私は仮面ライダーにどっぷりハマってて一週間の唯一の楽しみといっていいくらいニチアサが待ち遠しくて仕方がありませんでした。彼が演じた呉島光実は巨大企業ユグドラシル・コーポレーションの御曹司で主人公と同じチームの後輩、いわゆる弟キャラという立ち位置でした。物語を引っ掻き回すトリックスターの役回りも兼ねていたので今でも強く印象に残っています。

ドラマを趣味としない私が次に見たのは九年後で連続テレビ小説『舞いあがれ』でした。役名は刈谷博文で人力飛行機サークル「なにわバードマン」の三回生で設計を担当しました。一回生の主人公を引っ張る存在として活躍をし、のちに空飛ぶ車の開発に取り組む会社を立ち上げます。まさに「男子三日会わざれば刮目して見よ」で七三分けの先輩キャラに大変驚きました。印象がまるで違って見えたのは、数々の経験を経て積み上げてきた努力の賜物によるものなんでしょうね。そして間を置くこと無かずに大河ドラマ『光る君へ』で藤原惟規を演じることとなりました。主人公の弟ということで鎧武時代に原点回帰している気がして妙な懐かしさを覚えましたよ。


大河ドラマ本編の感想に参ります。

第39回ですが惟規にがっつり焦点が当たっていましたね。この演出は視聴者に感情移入させる目的があります。史実で死は確定していましたからね。多角的な視野を持つ偏屈な私はもう一つの意図があるように感じました。藤原伊周の死をあっさりとしたモノにするために惟規を大きくクローズアップしたのではないのか、と。

歴史ドラマに出てくる登場人物の死。その描写が基本丁寧です。桜の如く華やかな人生を歩んできた偉人ですから彼らの散り際も当然美しいものとなります。惟規の死は多くの視聴者の涙を誘いました。しかし伊周の死を見て泣いた人は一体どれほどいたのでしょうか。これってまさに「枕草子=藤原伊周」「源氏物語=藤原惟規」の構図とまんま同じなんですよね。枕草子の評判を源氏物語が打ち消したように、伊周の死を上書きするために惟規の死をセンセーショナルに演出したのだとしたなら…。中関白家推しの視聴者はききょうが流したのと同じ血の涙を流していたことでしょう。


「与えられた環境の中で幸せを見い出すのじゃ!」と妹に説教をした中宮彰子。

その提言を皇后定子一派の中で唯一行動に移している人物がいます。藤原隆家です。彼は境遇に絶望することなく現実的な視点で己の歩むべき道を見出して幸せを模索しています。自分の不幸を誰かのせいにして誹謗中傷を繰り返す千年後の現代人に聞かせたいお言葉だと思いました。以前に話した老子曰く『足るを知る』ですよね。本当立派になられました彰子様。教え子の成長に藤式部もそりゃにこやかな表情になりますわ。

秋祭り日和と京都旅「朝陽が昇るバス旅の始まり」より引用




わたくし仮面ライダージオウも視聴していました。藤原頼通役の渡邊圭祐さんが出演されていたんですよね。初めてのドラマとは思えないくらいインパクトのあるミステリーな役柄で今でも強く記憶に残っています。

現在京都検定の勉強を必死にやっていて登場人物ゆかりの建築物を調べています。一番驚いたのは東三條社とも呼ばれている東山区の大将軍神社です。「え?ちょっとまって?藤原兼家さんが祀られていたの?」って。あと真正極楽寺のはじまりが東三条院離宮であったことにもビックリしました。女性の信仰が篤い真如堂と一条天皇の国母である東三条院詮子との間には大変深い関わりがあったのですね。
一方で藤原道長の法成寺と中宮彰子が請願した一乗寺は現在残っていません。藤原北家の子孫に好かれていなかったか、それとも再建するほどの財力が残っていなかったのか。まぁ藤原頼通の平等院鳳凰堂で十分なんですけどね。

2024/11/18《あとがき》



第40回「君を置きて」


大河ドラマ"光る君へ"第40回「君を置きて」観ました。

一条天皇がついに崩御と相成りました。物語の帝といえばこの御方だといっても過言ではありません。視聴者とともに長い時代を渡り歩いてきました。始まりも終わりも外戚の藤原氏に翻弄された一生でした。


なにゆえ女は政に関われぬのだ

敦康親王さまが差し置かれたことを嘆く中宮彰子さま。ただ敦康親王様ご本人が示唆されています通り、天皇になっても幸せが得られるわけではありません。先日、法政大学名誉教授で江戸文化研究者の田中優子氏が高市早苗氏について『安倍さんが女装して現れた。中は男でしょ』と評しました。政治の有力者になるとこのような誹謗中傷を公の場で投げかけられることになります。政治の表舞台に立つことは矢面に立つことと同義です。芸能人以上に多数から呪詛やら怨念やらが飛んできます。なので権力者は強心臓を持っていないと耐えることはできません。

女はこれまで政治に一切関わってこなかったと主張する人がいます。それは大きな勘違いです。一条天皇時代の少し後、鳥羽天皇の二人の后である待賢門院と美福門院の間で大きな後継者争いがありました。徳川幕府のお家騒動もそうです。江戸時代に詳しい方であれば月光院と天英院のお二人をご存知かと思います。我が子を跡継ぎにしたいとする母の強い想い。形は違えど政治の権力闘争は男女関係なく存在するものです。それにしても高市氏に対して人格否定発言をした田中優子氏。毎週欠かさず観ている歴史番組のメイン解説員なので私は頭を抱えました。こういう騒動が起きるたびにテレビのレギュラー出演者は過激な政治発言をしないでおくれよと思ってしまいます。

戦後より政教分離原則を掲げている日本。近年は政治と宗教が再融合しつつあります。オウム真理教がやっていたような歌の選挙活動もその一つの顕れになりますが、過激な政治思想の犯罪が年々増えてきています。狂信者となった彼らは何をしでかすかわかったものではありません。政治テロに巻き込まれたくはない私は敦康親王と同じスタンスです。清少納言よ、熱い気持ちはわかるけれど私のことなどほっといてくれ。敦康親王はきっとこのように思っていることでしょうね。みんながみんな心が強いわけではありません。投票に行かない人が多いのは、政治で人を傷つけたくないし傷つけられたくないという優しい気持ちを持っているからなんじゃないのかなって。大人たちの醜い争いを見て若者たちがそう感じているのではと見ています。私も政治闘争に巻き込まれるのは御免です。


両天秤にかけて天皇ではなく左大臣を選んだ藤原行成

揺れ動く彼の心模様、大変おもしろかったですよね。敦成親王さまを東宮にするために『清和天皇』を例に挙げて一条天皇を説得した行成の言葉に歴史ファンの私は痺れました。清和天皇は重臣・藤原良房の後押しで四男ながら天皇になった日本初の幼帝になります。そして良房は藤原北家の血筋で道長の祖先に当たります。今も昔も国家機関は前例主義にめっぽう弱いので一条天皇は大人しく従うしかありません。

富士山は平野から見る景色は大変美しく、山頂で見る景色はゴツゴツしていてお世辞にもいいとは言えません。何度も申しているように天皇になったからといって最高の幸せが確約されるわけではありません。屈辱のほうが多いことを歴史が示しています。東宮になれなかった敦康親王さまはのちに風雅の道を歩まれました。衣食住に困らなくて大きな責任を負わずに平和に過ごす。そんな人生が一番の理想だと思うんですけどね。


ついにオリジナルキャラクターの素性が明らかになりました

内裏強盗事件のシーンが初登場だったので彼も盗賊の一味では、と勝手に勘違いしていました。正体は平為賢ためかた配下の武士だったんですね。為賢といえば刀伊の入寇で大活躍をした猛将になります。武勲を挙げて肥前国(佐賀県と長崎県のほぼ全域)を賜りました。やっぱり刀伊の入寇をガッツリやって賢子と双寿丸の恋模様を描きつつフィナーレとなるのでしょうかね。

秋祭り日和と京都旅「法被姿が行き交う上津屋散策」より引用




「天皇は男系男子でなければならない」「いや男女平等の世なんだから女系天皇を認めろ」だという議論が数十年間ずっと続いています。天皇の歴史を学んでいる私はこう思うのです。いやいやいや、天皇ってつらい立場なんだよって。

クレオパトラや楊貴妃のような人物ばかりが目立つ政治世界の女たち。日本史を詳しく調べてみると善政を敷いた慈悲深い女性をみることができます。聖武天皇の皇后で孝謙天皇の生母、光明皇后は施薬院と悲田院を作って五重塔を建てて民衆のために尽くしてきました。我々が京都の伝統文化を堪能できるのは徳川家五代将軍綱吉の生母・桂昌院のおかげです。彼女は応仁の乱で消失した寺社仏閣の再建と再興を果たしてきました。昨今のフェミニズムは男性を貶めるミサンドリーばかりが目立っています。しかしフェミニズムの本当の意味は性差別撤廃であって過去の女性たちの偉業をもっとフィーチャーすべきなんです。

女系天皇には反対しても女性天皇に賛成する人は保守派の中にも数多くいます。江戸時代に新井白石が閑院宮を創設したように宮家創設を早急になすべきなんですけどね。国連に男女平等を促されたり女性だ女系だと騒ぐことよりも皇位継承問題のほうが深刻だと感じるのは私だけでしょうか。

2024/11/19《あとがき》



結び


二週間前に投稿したばかりの感想記。

最終回に近いので早めに投稿を致しました。藤原道長が望月の歌がお詠みになられたので残す大きなイベントは刀伊の入寇と二人の死だけとなりました。もうすでにロス状態になっています。『光る君へ』は全48回ということなので、次回の感想記は4回ごとの投稿を考えています。大河ドラマは毎年年末に総集編がありますのでそれについても感想を書きたいですね。

以上です。ご精読ありがとうございました。


「安居橋」




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おまけ


感想記にて斎藤元彦氏への言及(批判)を何度も書きましたので改めて総括を行おうと思います。

あくまでおまけなので予告なしに以下の文章をメンバーシップ限定に変更することがございます。ご了承くださいませ。見逃しを防ぎたい方はnoteフォローやアプリ通知がオススメなのでぜひご活用ください。


「カヌレ」


「品名忘れてしまいました。
多分、ぶどう入りフォカッチャ」




『おねだり』疑惑について

まず始めに、視察先などでの贈答品おねだり疑惑についての話をしたいと思います。

これに関しては平安時代からあることで大河ドラマ『光る君へ』の藤原行成が「太宰府は実入りが良い」と申していました。他の首長もやっていることであり、政治家時代の橋下徹氏も宛名入りを条件に贈答品を受け取っています。一見賄賂に見える行為ですけれども、県庁が名産品の宣伝をするという名目がありルールで禁止されているわけではないので問題はありません。

辞職相当の罪ではないけれど知事が贈答品を独占するのはさもしいと思いました。公務員や官僚を叩くのは劇場型政治の典型です。しかし部下がいなければ組織は成り立ちません。県職員は県民でもあるのだから貰ったもので消費しきれないモノはしっかり分配すべきでした。戦国時代の大名たちは領土だけでなく感謝状や茶器など、配下の苦労に報いるため様々な褒美を与えてきました。「御恩と奉公」という言葉があるように公務員の心を掴むのも首長の大切な仕事のひとつです。彼らは奴隷じゃないんだから。



パワハラ問題について

次にパワハラ問題についてです。

首長と地方公務員の対立はかつての大阪市とまんま同じ構図ですね。先の衆院選での大阪選挙区全勝について他府県の人たちが疑問を感じているようですが昔の大阪は職員も議員も腐りきっていました。このままでは大阪が沈没してしまうということで有志が大阪維新が立ち上げて橋下徹を擁立し、そして今日の大阪が出来上がりました。第二の大阪を兵庫県でも実現しようということで斎藤元彦氏を維新が支援することになったのです。

ちなみに自民党も2021年兵庫県知事選挙で斎藤氏を支援しています。当時日本維新の会は波に乗っていて自前の候補者を立てることができませんでした。立憲民主党や共産党系知事を阻止するためというのも大きな理由のひとつだと思われます。知事降ろしが始まると同時に見放したのに2024年兵庫県知事選挙では陰ながら斎藤氏を支援した自民党。矛盾した行動の裏には「左派色の強い対立候補を当選させるくらいなら斎藤氏のほうがまだマシだ」という思惑が垣間見えます。



陰謀論について

私は陰謀論者の主張と陰謀論を基本信じていません。

なぜなら彼らの言っていることは妄想に過ぎないからです。だってそうでしょ?真の陰謀なんてのは高次元の思考によって繰り出されるものであってド素人にわかるわけがありません。一般人が考える陰謀なんてのは噂話と同等です。断片的な材料だけで物事を決めつけるのは名探偵のジャマをする迷探偵キャラそのもの。ゆえに証拠のない「おねだり・パワハラ捏造説」は荒唐無稽であると言えます。

そもそも完全な捏造であるならば斎藤氏本人が否定をしていたはずです。兵庫県知事をどうしてもやりたい彼なのに反論が一切なかったというのはおかしな話でしょう。そう受け取られても仕方ないと自覚していたから、彼は公の場で終始官僚的な答弁を繰り返し曖昧な答えしかしませんでした。


ここで一旦話をまとめます。

おねだりもパワハラも辞職すべき問題ではなくて有権者が選挙で判断する材料のひとつに過ぎません。私が看過できなかったのはこの二点ではありません。



公益通報者への対応

斎藤元彦氏は知事にふさわしくないと感じた問題点。

それは公益通報者への対応についてです。自死をした前県西播磨県民局長自身についての疑惑は事実がまだはっきりしていませんのでここでの明記は避けますが、どんな人間であろうと、そしてどんな内容であろうと公益通報の権利は守られるべきものであり、私刑は日本国憲法第31条で禁止されています。誹謗中傷や名誉毀損の類であったなら法に基づいて元局長を訴えるべきであり、告発された側の斎藤元彦兵庫県知事が第三者委員会に処分を任せるなどの適切な対処をしていれば兵庫県政が停滞するほどの騒動には発展しなかったはずです。


クーデターが実行されると危機感を抱いた斎藤知事。

自身の地位と名誉を守るため告発者を早急に処断した。彼が行なった一連の権力行使は中国やロシアの独裁主義とまったく同じです。これを許してしまうと県職員だけでなく斎藤知事を批判する次の標的、弱い立場の兵庫県民へ移ることになります。パワハラをする人間は楯突く者に対して容赦しません。「パワハラは県職員限定だ」と考えるのはさすがに都合が良すぎる理屈でしょう。粛清ですよ粛清。



足を引っ張った左派応援団

無知な友人ほど危険なものはない。
賢い敵のほうがよっぽどましだ。

ラ・フォンテーヌ『寓話詩』の一節です。残念ながら稲村和美氏は残念ながら蓮舫氏と同じ道を辿ってしまいました。尼崎市の市政改革という実績は十分だったのに左派色の強い応援団が次々とやってきたことで行き場を失った自民党支持者が斎藤氏へ回るという最悪の事態に陥りました。極端な左巻き連中を突き放すような政策をぶち上げていれば多くの浮動票を多く取り込むことができたんですけれどもね。彼らのいらぬお節介が結果として斎藤氏再選の後押しをすることとなりました。


先の衆院選東京24区で萩生田光一氏が七回目の当選を果たしたのも同じ状況だと言えます。

有田芳生氏ではない中道の有力候補者を立てていれば野党が勝利した可能性は高かったことでしょう。立憲民主党は議席を多く伸ばしましたが一方で比例票の数は現状維持。エコーチェンバーに支配されている彼らは嫌われていることにまったく気づいていません。日本人の多くは左右の極端な思想に嫌気が差しています。金持ちが思いついた理想なんかより現実的な社会問題の解決を望む人が大多数なんです。だからアメリカ大統領選挙でトランプが勝利しハリスは敗北しました。

現職有利と言われる知事選において知名度の低かった稲村氏は善戦したと言えます。しかし負けは負け。二位ではダメなんです。なぜ左派応援団は黙って見守るという選択肢を選ばなかったのでしょう。大人しくしていれば批判の目は立花孝志氏に向いていたはずです。東京都知事選の教訓をまったく活かせなかった彼ら。選挙に勝ちたいのか負けたいのか。彼らは一体誰の味方なのか私にはよくわかりません。



組織票と無党派層

さて結果は皆様御存知のとおり、斎藤元彦氏が再選となりました。

開票日直前に兵庫県内22市長が異例の稲村氏支持を表明したことも完全に裏目になりました。無党派層は組織票を嫌います。そのことを地方自治体の長たちはまるでわかっていませんでした。私は兵庫県民ではないので兵庫県の財政がどうなろうと知ったこっちゃないです。ただ親戚が兵庫県にいて観光に行くこともありますから他人事だといって突き放すことはできません。利害関係者ではないからこそ言えることがあります。



維新の一人負け

これまでの騒動を冷静に振り返ってみると維新が一人負けしたことに気づきます。斎藤元彦氏が兵庫県民に許されたのであれば維新も当然許されるべきはずです。しかしそうはなりませんでしょうね。兵庫県議会議員選挙がもし近日中に行なわれたらば間違いなく大敗を喫すると思います。

実は2017年兵庫県知事選挙。

長年続いた副知事の知事踏襲に終止符を打つチャンスがあったのです。橋下徹氏とテレビで共演したことがある勝谷誠彦氏が名乗りを上げました。もし彼が当選していればもっと早くに兵庫県政の改革は進んでいたでしょうね。しかし彼の発言はいつも過激でパワハラ気質の性格だったので無党派層を揺り動かすことができず古い体制を打破することができませんでした。



オールドメディアとSNS

斎藤元彦氏の勝利はネットメディアがオールドメディアに打ち勝ったことを意味します。

アメリカ大統領選挙ではハリス優勢もしくは僅差だと報じられていましたが、実際はトランプ圧勝という結果になりました。これはハリス氏を応援する日本メディアと専門家たちの希望的観測とトランプ嫌いの感情論が主な原因です。オールドメディアが間違った予想をしていた一方で、ネットメディアを活用している高橋洋一氏は衆院選の自公政権議席とアメリカ大統領選挙予想を見事的中させました。彼は統計という客観的なデータを元に推論を立てました。賭け市場も参考にしたということでなるほどと思いましたよ。博打打ちの連中は誰よりも必死ですからね。好みで動いていたら大損ですよ。

テレビや新聞はいまだに世論を誘導できると信じていて己を疑うことは決して致しません。その傲慢さが視聴者離れと購読者離れを生み出しています。今回の兵庫県知事選挙ではSNSが若者の心を突き動かし、オールドメディアを信じる高齢者と組織票を打ち砕くことに成功をしました。


私個人の考えを申します。

オールドメディアとSNSのどちらも信用していません。NHKから国民を守る党は党名からして何の実績も果たしていない政治ビジネス政党で、知事選に立候補した党首の立花孝志氏は数多くの問題を起こしている迷惑系配信者の一人です。ネットメディアが現在やっていることは昭和時代の横暴だったマスメディアと同じ。オールドメディアを駆逐したところですぐに腐敗するのは目に見えています。

そもそも日本は真のジャーナリズムが根付かない土地柄で古来より権力に媚びてきました。朝日新聞なんかがいい例ですよ。今は平和主義を叫んでいますが戦時中は戦争を礼賛していました。逮捕されるほどの気概を日本のジャーナリストたちは持っていないのです。まぁ報道はどの国も政治や宗教が絡んできますから仕方ないことではあるんですけれどもね。そこらへんはAIに期待したいところではありますがまぁ理想通りにはいかないでしょうね。便利な道具は便利な武器になることを原子力技術で学びました。AIもいずれ権力者の道具に成り下がることになるでしょう。

絶望的なことばかり言ってごめんなさい。でもそれが人間社会の有り様なんです。多大な影響力を持つ良識人の良心に期待するしかありません。



兵庫県政の今後

斎藤元彦氏が当選したからといってもちろん兵庫県の闇が晴れるわけではありません。彼にはまだ多くの疑惑が残っていますし、兵庫県庁舎の再編は遅かれ早かれ必ずやらなければなりません。県民の期待を裏切って計画通り1000億円使う可能性は当然あります。既得権益を打破した大阪維新は現在人材派遣会社と癒着をし、『EXPO 2025大阪・関西万博』では中抜きとムダ使いが指摘されています。

大阪人のわたしが他県の口出しをする資格はもちろんありません。しかし関西経済圏の一角であり兵庫県が沈没すれば京都や大阪ももちろん大きな打撃を被ることになります。逆に兵庫県の改革が成功すれば全国各地に波及して日本全体にいい効果を生み出していきます。

私はこれといった政治的主張は一切ありません。しかし絶対に曲げられない信念があります。自由な意見が言えない独裁主義は絶対にNGです。公益通報者の保護はちゃんと守らなければならないしイエスマンばかりがいる組織に未来はありません。斎藤元彦氏についてはやはり期待よりも不安のほうが圧倒的に大きいです。兵庫県の夜明けはまだ遠いように感じます。

政治の世界は毒をもって毒を制すことしかできないのでしょうか。今回の兵庫県知事選挙で投票した若者たちが次に為すべきは政治の表舞台。新しい世代に期待したいです。

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