【hint.49】ただそれだけってこと
おはようございます。東京・吉祥寺を拠点として活動している、山田 鷹(やまだ たか)です。
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久々に重っ苦しい朝です。
季節外れの台風は近づいてきているし、昨晩遅くには、新幹線内で残忍な事件が起こったりもしたので、その影響を受けてしまっていることも、あるに違いありません。
昨日は、感情の振れがとても大きな一日でした。
最初はたぶんちょっとした、
例えば、二人の人間が、一枚のシャツを一緒に畳もうとしていて、表がどっちとか、裏がどっちとか、ここは襟だねとか、ボタンが7個ついているねとか、そういったことはあえて確認せずとも認識が一致していたのに、
なぜか二人が、ボタンをボタンホールに自分の好きなところからそれぞれ別々に留め始めて、最後の一つになった時に、一つズレていることがわかったようなことなんだと思うんです。
上から順に留めるとか、下から順にとか、二人で一緒に留めるとか、そうやっていれば、たとえズレたとしても早いうちに気づいて修正ができるんだろうけど、
だけど、なにから何まで二人で一緒に作業をしたり、全て細かく確認をとったりすることは現実的ではないことで。
一つのズレがわかった時、どうするか?どうできるか?
ここがやっぱりポイントなのでしょう。
疲れているっていうのは、この場合、とてもやっかいなものになります。特に、「いい気分で過ごしたんだけど、身体的には疲労してしまっている」という時のそれは。
本当は疲れているのに、気分がいいもんだから、なかなか自分が疲れていることに気がつきにくいんですね。
だからそこからすぐに話し合ったりして、どうにかズレを解消しようとするんだけども、どの言動も端々がどうしてもほころんでしまって、だいたいは「ズレはどうして起こったのか?」「どちらがどうしたからズレたんだ」ということを、皮肉なことに「二人で協力して追求し合う・責め合う」という構図になってしまいます。
こういう時は、いったん物理的に距離をとって身体的な疲れをとりつつ、お互いがお互いのことをまったく考えなくていい時間を過ごすことがとても重要です。
そのためには、自分が楽しく過ごせるものに没頭することです。
そうしているうちに、「そろそろ落ち着いて話し合えるかな」という瞬間が必ずふと訪れます。
(実はここから自分がどう動くか、がとても大きな違いだったりもします)
そうしたら、「ズレはどうして起こったのか?」「どちらがどうしたからズレたんだ」という、お互いが向かい合う内容の話といっしょに、「どうしていこうか?」という、お互いが同じ方向を向いている内容の話がしやすくなっている、そんなところです。
「楽しんでたけどやっぱり疲れてたんだよ僕ら」ということ、ただそれだけってこと、ホントによくあるんだと、僕は思っています。