声と音で表現することを許された者が送り出した大人の心情なるものをちょっと考える?
今回も誰得?
そういえば、デビューから30年経つんですね↓
歌手としてデビューが1991年、私の多感なお年頃時代から30年…私は戸籍上も偽りなく年齢が上書きされました。この偉大なアーティストとは異なり、私は、ただ無駄に細胞が加齢を迎え、健康診断でメタボを指摘され、目覚めの枕元で加齢臭を嗅いだりと、下り坂な30年を歩んでしまいました。
閑話休題。
坂井泉水を中心に結成された音楽ユニットであるZARDは、楽曲を通して、私たちにたくさんの贈り物を提供してくれました。
そんな贈り物でも、私の中では異彩を放つバラード(kmrysnr2009様のカバーより)↓
ZARDの「永遠」を少し考えてみたいと思います。
ハッピーエンドではないからこそ
この曲はテレビドラマ「失楽園」の主題歌に採用されました。原作は渡辺淳一による同名の恋愛小説です。恋愛といっても、扱うテーマが大人の不倫です。しかし、1995年から96年にかけて日本経済新聞に1年近く連載されていました。その小説のドラマ化が1997年にされたのですから、現在のように何があると炎上するような世知辛さではなく、寛容な世相だったとも言えるでしょう。
そんな原作の不倫について、というより渡辺淳一の作品を見た坂井泉水がどんな風に考えたのか?と私は想像したくなります。しかし、坂井泉水は、自身に与えられた天賦の才能ともいうべき、
詞に自身の意味を込めつつも、作品全体では殊更に主張をぶつけるのではなく、他者の琴線に直接、しかし優しく触れる
という能力を遺憾なく発揮し、不倫というネガティブなものまでも、澱みのない透明感がある作品として解き放っていったのかなと私は考えます。
楽曲の全体の透明さと詞の奥深さ
永遠のPVは坂井泉水が砂漠をあかいスーツで疾走するもので、そこには一切ネガティブな要素は感じません。しかし、改めて歌詞をみると、相当練られたものであるといえます。
あかいかじつをみたら
わたしのことをおもいだしてください
「朱い果実」としていますから、禁断の果実を想起せずにはいられません。
また、
このままきえてしまいましょう
だれもしらないくにへ
失楽園は主人公が不倫の末、服毒自殺するバッドエンドです。それを暗示させる「誰も知らない楽園へ」から続くサビ…もちろん歌い手には技量が要求されますが、ふたり"だけ"の楽園に行ってしまう刹那な心象を強く残してくれます。
そして、ラスト
君と僕との間に永遠は見えるのかな
この門をくぐり抜けると
安らかなその腕にたどりつける
また夢を見る日まで
このサビの前の盛り上がり方がゴスペル調になっていることとは対照的に、失楽園の主人公たちは他者を巻き込みながら、悲しい結末を迎えます。その辺りの葛藤は超えてはいけない一線…死を超えて愛することを「門をぐくる」に準えていることからも窺い知ることができます。
しかし、坂井泉水の凄さは永遠の歌詞のように一見すると強い感情や言霊を歌詞にしたためながらも、楽曲にするときは受け手が心にそっと留めやすい形に書き換えることを許されたアーティストだったと思います。
皮肉にも
永遠の発表から10年後の2007年、坂井泉水は闘病中に不慮の事故で亡くなります。享年40。まさに、朱いスーツに身を纏った稀代のアーティストは時間のはるか彼方に旅だって行きました。まるで、その存在すらPVであったかのように。
この曲を改めて噛み締めて聴くと、大人のやや屈折した心情を題材にしながらも、肉体は死に向かっても想いまでは"永遠"になくなることはない…そんなことを体現した至極のバラードの1つと言っても過言ではないでしょう。(了)