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自分がやらかしてきたことをちょっと振り返る【巻の1】 就職氷河期の就活篇



イントロダクション


人生100年時代と言われて久しい昨今。世界情勢が混迷を増し、日本の行く末に暗雲が立ち込めている中、本当にだらけた中年に成り下がったワイ。

そんなワイでも、一応それなりに生きてこられたことを振り返る…という誰得な記事になります。

ひとつ、お付き合いのほど、よろしくお願いします。

振り返るといっても、まー、社会人デビューのころからだとキリも良さそうなんで、そのあたりから始めさせてください。

就活とはこれ如何に?

ワイの禍々しい社会人生活を振り返る前に、就活の話をしたいと思います

ワイがいわゆる新卒で就職活動したのは2回ありまして、

1997年(1998年4月入社)
1999年(2000年4月入社)

でした。

思い返すと、 

  • ようやく携帯電話(2G)が普及し始め、iモードなるものが世に出回る

  • ファイナルファンタジーVIIIが世に出る

  • JR東日本のCMにGLAYが起用される

  • モーニング娘。がイケイケ感を出している

ようなときに、夜は学生同士で酒を酌み交わしつつ、カラオケで朝まで騒ぐといったアホ学生をしてたことは記憶しています。

あと、時期を見てもらうとわかりますが、ガッツリ就職氷河期でした。

まー、就職活動中は正直気にしていなかったのですが、確かに入社試験が厳しかった…というか。ここらあたりの話は次回以降にお届けしたいと思います。

エントリー

さて、入社試験を受けるには、当然エントリーする必要があります。1997年とか、1999年とかの時代はインターネットがそんなに身近にあるわけでもないので、

マジでアナログ(つまり手書き)

でエントリーをするわけです。

エントリーの前に募集要項的な資料を取り寄せねばならぬわけです。この資料請求(リ◯ルートさんが作ってくれた就活雑誌に付属のハガキ)だけでも400くらいは申し込んだと思います。

その後、興味がある企業への履歴書やエントリーシートなどの送付の場面になります。

ワイは男子学生だったので、ももまろ様↓ほど厳しい"男女差別"はなかったのですが

いやー、履歴書はともかく、ESの手書きは本当に苦労しました。何せ、悪文悪筆なもので(苦笑)。この時点で200以上の企業や団体に送りつけてたわけです。この時期にワイの悪文悪筆と鎮座した採用担当者には頭が下がる思いです。

現在だと、名の知れた企業や団体であれば、エントリーはWeb上で完結ですから、隔世の感がありますね。

シード権使えず

ワイのプロフィールに興味がある奇特な方はご存じかもしれませんが、これでも理系の大学出身者なので、理系学生の特権である学校推薦で社会人デビューの道もありました。

しかし、学校推薦は使いません…というか、叶いませんでした。だって、ホンマにクソ学生だったんで、先生が推薦してくれませんでしたよ(泣)

しょうがないので、すべて一般応募での就活を余儀なくされていました。そのおかげでというか、色んな発見というか、驚きがありました。その話は次回以降に深掘りしたいと思います。

ちなみに学校推薦については、nomay様が22卒就活体験記として記事にしてくださってます↓

おまけと予告?

ワイの理系学生時代の「専門」に興味を持たれた奇特な方は、こちらの記事もご笑覧ください↓

ちなみに、ワイの就活自体は最終的には正社員で決着し、現在に至るわけですが、そのあたりは今後のお楽しみということで。

(続く)

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山田太朗(仮名)
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