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青いワンピースと50歳。

最近暑くなってきた。人通りの多い道を歩いていると、ふわふわひらひらと涼しげで可愛いワンピースを着る女の子を見掛ける。

この頃、齢五十にしてワンピースを見ると、ある気持ちが湧き上がるのだ。

***

私は普段カジュアルな服が多い。夏なんかはTシャツにパンツスタイル、ラフなスカート、動きやすい靴が定番。

若い頃なんて20歳の花盛りの時代にカバやクジラのリアルな写真が入った謎Tシャツなんかを恥ずかしげもなく普通に着る女子だった。

昔勤めていた会社も服装については完全自由だった事もあり、今思うとちょっと頭おかしいんじゃないかという愉快な服を着ていた事もある。

そんな私なのだが、いつの時も憧れというか手が出ない服装があるのだ。

それはワンピース。特にスカート部分が風を受けるとひらひらふわふわとしたヤツ。

私の中でワンピースは女の子の象徴だ。

私にとってそれは聖域に近い感覚なのかも知れない。
若い頃は特にそれが顕著だった。

ガサツで、何にもないところですっ転ぶ事も多いようなこのワタクシ。所作だって周りを見て恥ずかしくなることばかりだ。加えて女子力なんてカケラもない。

そんな私がワンピースを着るなんて想像しただけで勘違いも甚だしいと本気で思っていた。
当時の私は自分の事を低く見積もるところがあったからだろうか。

何より、着るとか着ないとかその前にこの私がそんな素敵装備をまず買うところから恥ずかしい。もひとつ言うなら、ワンピースってお値段だってちょっとする。

私なんかがお金掛けて可愛いワンピースなんて。

全部全部が否定的。

そして、そんなメンタル的な事に加え私は身長が152センチと低め。
大体女性Mサイズの表示を見ると身長156から。
このたった4センチの差が地味に大きく体に合わないのだ。加えて若い頃はヒョロンとした体格。
ワンピースどころか、下手すりゃ普通の洋服だって新一年生のランドセル並に"着せられいる感"が否めないものだってあった。

合わないと分かっているから「どうせ似合わないだろうな。」と、試着することさえ躊躇してしまっていた。
しかし、相反して私の気持ちの奥底には「いつかは自分に似合うひらふわなワンピースが着たいな。」なんて淡い想いがあった。

そんな密かな憧れを抱いていた若い頃、今は亡き祖母と一緒に買い物に出た時のこと。とある若者向けの洋服店の前で祖母はふと立ち止まると「テッちゃんもこんなのを着ればいい。」と、言った。

ディスプレイされたそこには青いワンピース。
夏らしく涼やかでとても綺麗な淡い青色。
青は私の好きな色だが、これまた私は青、殊更淡い色が似合わない。

「娘さんらしくてええ。」と、祖母は猛烈にプッシュした。
そして私はおばあちゃんっ子で祖母に弱かったので、押し込まれるように店に入り試着することになった。

試着してみるとAラインの少し細身ですっきりと作られ、ウエストも自然な感じに仕立てられ、上部で切り換えされていたのが良かったのか私が着ても気にならなかった。

あの時、ワンピースを着ている自分が恥ずかしくて顔が真っ赤になっていたことを覚えている。

でも、やっぱり淡い青は私には似合わなくて、それに見合わない自分が恥ずかしいというか少し惨めに思えた。

試着室から出て、祖母に見せると祖母は「これがええ。これ包んで下さい。」と、お店の人に言った。

"似合わない"なんて思いながらも青いワンピースは私の一張羅になった。

私が50歳になるまでに買ったワンピースはこの青のワンピースと、以降に買ったストレートなシルエットで肩紐の黒い光沢のあるワンピースの二着だけ。
二着共、20代前半に買ったもの。

どちらも私の理想のワンピースでは無かったけれど、今でも大事にとってある。
今やもう型だって古いし、私だって体型が変わって着れたものではないけれど。

思えば、祖母の猛プッシュが無ければワンピース自体を買う機会なんて一生なかったかも知れない。

今の私はワンピースを買うくらいのお金はあるし、試着だってグイグイ行ける度胸もある。

ただ、ひらひらふわふわのワンピースなんてあの頃より更に似合うとは言い難い年齢になってしまった。さすがにもう着れない。

いや、正確に言うと幾つになったって、それこそ似合わなくったって、好きな物を堂々と「好き」と言って着ればいいのだけれど、今の私にはイマイチ似合わない理想のワンピースにお金を使う位なら違う事に使いたいし、ひらふわワンピースをそこまで着たいとは思わなくなってしまったのだ。

道行くひらふわワンピのよく似合うお嬢さんを遠目に愛でさせていただくのが丁度いい。

憧れはあっても今手に入ってもあまり意味のないものになってしまった。変な話だが、欲しかったのはあの頃。

でもあの頃はもう今ではない。

ただ、似合わなくても挑戦だけでもすれば良かったとほんの小さじ1だけ思う。

ここ2.3年で急に老眼が気になり、朝起きれば謎の痛みが肩をひと走りするし、身体も妙にだるい日が増えた。
50歳。半世紀。
最近、私は昔に残したいろんな気持ちに駆られてしまう。

今、ふわふわひらひらとしたワンピースを見ると、あの頃戻る事ができない頃に、やっておきたかった事をやっておけば良かったと小さな後悔を思い出すのだ。

老眼鏡を掛け、机に向かう。
もっと学びたかったこと、挑戦したかったことにちゃんと向き合おう。もう一度。自分のできる範囲でいいから。

今までの人生に後悔はないけれど、私は私の人生をちゃんと生きたいと願う。

こんな気持ちを50歳にして強く思っている。







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