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【書評】本屋大賞受賞作 逢坂冬馬『同志少女よ的を撃て』から学ぶ戦禍とは?

世界中の戦禍を生きる方たちの無事を願いつつ

(以下、戦争・暴力などのを含む内容です)

◆少女冒険物語として書いた理由と効果とは?

話題作『同志少女よ敵を撃て』は、冒険小説という「枠組み」を使い、戦争という重く悲惨なテーマを、女の子が主人公の冒険小説にしようと考えた作者逢坂冬馬さんの手腕が見事な作品です。親を亡くした少女が主人公であることや、女鬼教官率いる女子専門スナイパー訓練所での個性豊かな少女たちが繰り広げるシスターフッド満載の世界、いくつかの試練を経て大人へと成長していくひとりの女性の物語として締めくくられる筋運びは、少女小説や冒険物語の王道といえるでしょう。「戦争の実像を伝えたい」という作者逢坂冬馬さんの強い使命感から生まれた「ひとりの少女の冒険と成長のストーリー」が素晴らしく、わたくしはひと晩で一気に読了しましたし(徹夜して読んで迎えた朝焼けのなか、感動的なラストを読めたのは幸せな読書体験でした)、同じような体験をされたかたは、きっと多くいらっしゃると思うのです。

お前は戦いたいか、それとも死にたいかと聞いている!(p.36)

本文より


物語の舞台は、第二次大戦中のソ連。
モスクワ近郊の小さな村で母親と暮らす主人公セラフィマは、外交官を夢見る18才の女の子。大学進学を目前にしたある日、目の前で母親をドイツ軍スナイパーに惨殺され、暮らしていた家も村も焼き払われ、このまま死ぬか戦うかの二者択一を強いられて、セラフィマは生きる道を選びます。同じような境遇の女子たちが集められ、鬼教官イリーナ女史の課す過酷な訓練を経てできあがった少女だけのスナイパー部隊は、その輝かしい戦果から重用されて、息つく間も無く次から次へと独ソ戦の最前線を巡るのです。


◆戦果の性暴力を、女性目線から描いた作家の意図とは?


女を犯すことが同志的結束を高める。比喩ではなく、明確に吐き気がした。(p.355)

本文より

この小説でとりわけ印象に残ったのは、戦時下で性犯罪描写から目を逸らさずに、その類の犯罪が起きる理由を男たちに語らせたこと。世界ジェンダーギャップ指数156カ国中120位を誇る(?)我が国でもようやく「ジェンダー平等」という概念は広まりつつあるとはいえ、古来から男性が引きずってきた「男らしさ」から生じた暴力性・罪深さと真摯に向き合う場面を中学生でも読めるような筆致で描いた作者を、高く評価したいと思いました。デビュー作に臨む男性作家としては、決意を要する行為であったはずだから。(知人の学校図書館司書は、この作品を漫画版『戦争は女の顔をしていない』とセットで勧めているのだそう)


◆時代のニーズで変容する「女としての役割」

生きて帰った兵士たちが英雄として扱われたことに変わりはなかった。その者が、女性でなければ。(p.467)

本文より

それにしても第二次大戦時のソ連軍に女性兵士が100万人もいた、というのには驚きました。調べてみると、パイロットやスナイパーが多いのだとか。女性は忍耐力や細やかさという特性からスナイパーに向いているとされていたのです。にもかかわらず彼女たちは「女だから」というただそれだけの理由で、戦後は周囲から「人殺し」とうしろ指を刺されて差別される人生を送ったのです。戦いのあと、まるで手のひらを返すように家庭的な女たちを賞賛した社会と、「人殺し」と謗られ差別された女性兵士たち。どれほど辛かったことでしょう。「女としての役割」は、その時代の社会のニーズにあわせて都合よく変えられてしまうのだと思わざるを得ませんでした。

だからこそ、<自分が何を思い、何をしたのか⋯⋯それを、ソ連人民の鼓舞のためではなく、自らの弁護のためでもなく、だた伝えるためだけに話すことができれば⋯⋯わたしの戦争は終わりますp.101>と語った鬼教官イリーナの言葉が実を結んだ結末が、深みをたたえた感動的なものになっています。狙撃手という汚れ仕事を引き受け戦った軍人として、次世代に平和な未来を託したいというイリーナの希いのみならず、戦後社会を「のけもの」として生きた彼女らの姿もまた戦禍だということを、いまようやく、わたしたちは受け止められたのだと思うから。





逢坂冬馬著
『同志少女よ敵を撃て』
早川書房


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