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「全て忘れてしまうこと」は僕たちにとって最大の救いなのかもしれないという説。

人の最大の能力は「忘却すること」なのかもしれない。
と最近になってふと思う。

僕たちは、歳を重ねるたびに、
得るものが増えていき、それと同時に失うものも増えていく。

得るものが増えていくたびに、
僕たちは何かを失い続けているのだ。

つまり、一部分だけに照明を当てたときに、
僕たちは、歳を重ねるたびに「喪失」が増え続ける。
と言い換えることもできる。

獲得と喪失は常に天秤で均衡を保っている。

今、大活躍している著名人やスポーツ選手、
その他名誉や富を手にしている彼らも、
つまりはそういうことになる。

人生には無数の岐路があり、
A、Bどちらかしか選べなく、それでも、
選択しなければならない場面と必ず遭遇する。

その際に、喪失が生まれ、
その喪失が永遠の傷になってしまうこともある。

アメリカの世界的な某有名歌手が、
「いつか私がいなくなって、誰もが私のことを
忘れてしまう瞬間が訪れると考えると心が楽になるの。」
と言っていた。

当時は本当に意味が分からなかったけれど、
いつしか、それが理解できるようになってしまったのは、
歳を重ねてしまったからなのだろうか。

いつか、全部忘れてしまうこと。忘れられてしまうこと。
それは救いなのかもしれないなと思う瞬間がある。

以前、友人とスポーツの話で盛り上がった時に、
練習はどんな感じだったの?と聞かれたことがあったが、
そのとき言葉が出てこなかった。

とにかく厳しくて、時代に合わないこともあって、
僕が卒業してからしばらくすると、
当時の顧問はいなくなってしまった。

とにかく厳しかった。毎日泣きたいくらい。
消えてしまいたいと何度も思って、
一生忘れないだろうなとも思ったけど、

塗装がペリペリと剥がれ落ちていくように、
時間とともにゆっくりと、目で確認できないほど、
細部から静かに忘却していた。

「忘れちゃったのかなぁ。もう随分前のことだし。」

思い出そうと思えば、思い出せたのかもしれない。
けれど直感的にそうしない方が良い気がして、
無意識で話題を変えてしまった。

そういえばあの頃から、ずいぶんと、
傷は癒えているなと、それだけは感覚として確かにあった。

何もしていない時に、自分でも気付かぬうちに
ポロポロと涙が出ていたあの頃から、
確かに傷は癒えている。

このほかにも、そんなことあったっけ。。と、
他の人との話を通じて、忘却していた出来事に
遭遇することが多々ある。

僕たちは歳を重ねるたびに選択を積み重ね、
獲得とともに、喪失を重ねていく。

僕だけじゃなく、誰しもが、1つや2つくらい、
心にずっと沈殿している、溶け切らない、
喪失を抱えて生きているはずだ。

そんな時に救われるのは、

過去は変えられない。
けれど過去の意味を変えることはできる。

という言葉ではなくて、

「いつか全部忘れてしまうから。大丈夫。」

なのかもしれないと感じている。

一期一会だったが、
引きこもり歴5年の状態から一念発起して
プロナンパ師になったある人に

人生の悩みを打ち明けた時、
そんなことを教わったことがあった。

「何も気にしなくて大丈夫。どうせ僕らには全て忘れてしまう時が訪れる。すべて。そして僕も君も、みんな忘れられてしまう。なら後悔や不安なんて考えるだけ無駄。僕らには目の前の”今”を精一杯楽しむことしか、選択肢が残されていないと思わないKa?」

少し話を交わした後、ピカピカした服装とともに
彼は夜の新宿の街へと消えていった。

迫力とノリと楽観さで少々ビビっていたものの、
ずっと解決しなかった悩みが3秒で消えた。

忘却というと一般的にはマイナスな印象があるが、
それは僕にとって、決して、後ろ向きな考えではなく、

過去を手放して、今を生きて、
前に進むための究極の助言だった。

過去の後悔を手放して、未来への不安を捨て、
今を生きていた彼は少なくとも僕にとっては成功者で、
幸せのヒントを授けてくれた人物だった。

そんな彼の教えに救われる瞬間が
今も、これからも、数えきれないほどあるのだと思う。




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