EPOXY RESIN①私が「りんだうの花@銀河鉄道の夜」を作る理由
あれ?
そうだったのかも?
かなりの時間が経過してから気がつく事がある。
「りんだうの花@銀河鉄道の夜」は、作りはじめてからかれこれ10年くらいになる作品である。
が、先日「最高のクリスマスプレゼントとは?」を書いていて
あれ?もしかして?あそこが始まり?
8才のクリスマスにサンタクロースから届けられた一冊の本
「銀河鉄道の夜」が?と思った。
その本は、なぜか駅前の書店のロゴが印刷されている包装紙で包まれていた。
子供ごころにもいささか訝しく思ったけれど、サンタクロースがあの狭い書店の通路で本を選んでいる場面を想像してみたら妙に可笑しかった。
きっとお腹が本棚に引っかかって通りにくかっただろうし、お店のご主人も全身真っ赤でガタイのいい外国人が小さな街の書店に入ってきた日にゃあ、目が点になったのではないかしらん?
それとも変装して行ったのかな?
などと思いをめぐらせながら、丁寧にセロテープを剥がし外函から本を引っぱり出すと、新刊独特のいい匂いがふっと立ちのぼった。
ページを開くときにミリミリと微かな音がするのも嬉しく、ドキドキしながらページをめくったクリスマスの朝。
サンタクロースの代行業を請け負っていたのは言わずと知れた私の父である。他界した父は宮沢賢治が好きだった。きっと子供(私は長女だ)に少しでも早く読ませたかったのだろうし、その気持ちは痛いほどわかる。
まだ読めない漢字もあったけれど、8才の私は文字を辿ってゆっくりと物語の中へと入っていった。
そして
銀河鉄道に乗車した。
ポーッ、ポッポーと走り始めた汽車に。
それから
ぐるん、ぐるん、ぐる〜〜〜〜ん
と地球は回った。
1万回以上自転した計算になるが、そこでハッと気づいた。
その1万回の中に点在する瞬間を繋ぐと一つの形になっていて、その形が「りんだうの花」だったみたいな?
または、怪しげな占星術師に、後年あなたは「りんだうの花@銀河鉄道の夜」という作品を作ることになっていますよ?と予言されていて、実際そうなったかのような?
なんとも表現し難い不思議な感覚に包まれていた。
その感じを、かのスティーブ・ジョブスはこう言っている。
先を読んで点と点をつなぐことはできません。
後からふり返って初めてできるわけです。
したがってあなたたちは、
点と点が将来どこかでつながると
信じなければなりません。
自分の勇気、運命、人生、カルマ、
何でもいいから、信じてください。
点がやがてつながると信じることで、
たとえそれが皆の通る道からはずれても、
自分の心に従う自信が生まれます。
これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。
そして今の私は、「りんだうの花@銀河鉄道の夜」という作品を作っているわけだが、核の部分は、8才の時のままである。
当時と異なる点は、幾つかのテクニックと素材の扱い方を身に付けていることだろうか。
中に封入しているのはフデリンドウという高山植物で、標高1200mにある我が家の庭でフツーに咲く。それをドライフラワーに加工&着色し、エポキシレジンに封入している。
相手が花だから失敗もあるし手間もかかるけれど、「銀河鉄道の夜」のこの部分が好きなのだ。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。
線路のへりになったみじかい芝草しばくさの中に、月長石ででも刻きざまれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。
「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンニは胸を躍おどらせて云いました。
「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」
カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。
と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧わくように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。
(宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」より)
つまるところ
私がこの作品を作っているのは
宮沢賢治と彼を好きだった父に捧げるオマージュ
としてなのかもしれない。
ありがとう
と
伝えたくて。