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つめくさのあかり、灯りました。

 宮沢賢治作「ポラーノの広場」には「つめくさのあかり」がこんなふうに登場します。

ここから引用

そのときはもう、あたりはとっぷりくらくなって西の地平線の上が古い池の水あかりのように青くひかるきり、そこらの草も青黝ぐろくかわっていました。

「おや、つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。

なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび、そこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。

「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」

「そうかねえ、わたしはたった一つのあかしだと思っていた。」
        
                       ー青空文庫よりー

ここまで引用


「つめ草」が「灯り」のように見えるとは、なんて素敵な表現なんだろう!と長い間思っていました。

言い換えます。

都会育ちの私にとって「つめくさのあかり」は、賢治による物語の中のファンタスティックな描写でしかなかったのです。

その後、私は人口7千人ほどの村で暮らすようになりましたが、それでもまだ「つめ草」は畦道を縁取る愛らしい野草でしかありませんでした。

が、外灯もまばらな村の中で、真夜中に車がスタックし家まで歩いて帰った時のこと。

「つめ草」は本当に「灯り」のように見えたのです。

月明かりに照らされたつめ草は、そのひとつひとつが柔らかな光を放ち、天上の高みへと導く一筋の道のようにも見えるのでした。

賢治の表現を借りるならば「たった一つのあかし」そのもののようにさえ感じられました。

その夜、私は、賢治とふたり並んで歩いているような心もちで、つめ草の灯りを頼りに家までの長い道のりを約3時間歩き続けたのです。

そもそも「賢治」や「つめ草」に魅かれるのは、クリエイターだからかもしれせんが、何かしら意味のあるものを作りたいという気持ちもあるのだと思います。

そんなに大袈裟ではないけれど身につけているとほっこりするようなアクセサリーを目指して作っております。

という訳で、作品サイズは直径、高さともに2、5cmでスワロや淡水パールをあしらってあります。

つめ草は、蛍光染料で染めてありますので、紫外線でお花がふわ〜っと浮かびあがります。自分で言うのもなんですが、これがなかなか綺麗♪

チェーン長さは61cmで6cmのアジャスター付きです。

ご同好の士に♪

こちらはキーホルダー です。

で、ブラックライトで照らすとこうなります。不思議でしょう?

と、まあ、ここまで作品の説明なのですが、作者的には「やったぜ!」感あります。通常、イメージは脳の中にあって外からは見えません。その見えないイメージを可視化するのが、クリエイターの役目ではないか?と思っているのですが、「もしかして可視化出来たかも?」と。

「つめくさのあかり」は、2020年頃から作りはじめ、もしかして内側でお花が光ると面白いかも?と思いたち、各種蛍光染料をあれこれ試し、その度にお花を無駄にし、ああ、ごめんなさいとお花に謝り、ん?これはいいかも?という染料についに出会い、出来上がったのが2023年春。

先日亡くなった坂本龍一氏は「芸術は長く人生は短い」という言葉を好まれたそうですが、本当にそうだなぁと。もっとも、これは「芸術」なんつー大それたものではないと思いますが。

ともあれ、谷から尾根道に出た気分。
ま、側から見ればどうでもいい事だとは思いますが、作者的には印象深い出来事でしたのでnoteしておきます。


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