時間を「行動」単位で考える
先日以下の詩をツイートして思ったこと。
「未来」と「過去」の羅列の中に「未過」を混ぜた。
なんとなくの言葉遊びではあったが、振り返って考えてみるとここに「未過」を入れたのは我ながら秀逸だった気がした。
未だ過ぎないこと、つまり「今やってること」はすなわち「現在」だから。
10年レベルで「現在は無い。『今』と思っている間にそれは『過去』になっている」という言説が頭のなかにこびりついていて、それ以外の見方を考えても見なかった。
しかしこの「現在は無く、過去か未来だけだ」という考え方は純粋に時間のみで考えたときだ。
時間を「その時その時の行動」で区切れば、「別の行動をやり始める」までが現在という考え方もできる。そして次の行動を始めるとそれまでの行動は「過去」と認識される。
だから15時から15時30分までコーヒータイムだとすると、その時時計を見たら15時15分だったとして10分後も現在と言えるし、10分前も現在と言えるかも知れない。
一つ、時間の今まで持っていなかった区切り方・考え方を得た、という話でした。