絵に隠された文字
西洋画で聖母マリアの絵に描かれる百合が清純の象徴であるように、国宝「平家納経」にも、直接的に表現しなくても、特定の印で何かの意味を伝えることがある。まるで謎かけのように。
単純にきれいだからと国宝「平家納経」の厳王本の模写を始めた私は、今更ですが、改めて不思議な絵だなと思い始めた。
画面を見てみると、右端に寄った2人の人物の左には大きく空間が広がっている。
画面左に壺が転がり、下には何故か巻物も転がっている。壺の右にある青い岩の上には同じく青い鷺のような鳥が一羽、下にも餌を突いているような鳥、泳いでいるような鳥と二羽いる。全面にえんじ、ピンク、緑、オレンジなど極彩色の花びらが風に舞い散っている。
こういう時の花びらは大抵、蓮の花びら。
奈良東大寺などの散華でも蓮弁の形の紙に著名な画家たちの絵を印刷した散華があるが、元々は生の蓮弁や花の花びらを撒いて、供養したらしい。
岩から出ているユラユラとした線をみるとこれは水辺、浅瀬かなとも思わせる。
あっ右上にもう一羽飛んでくる。
「よみがえる王朝のみやび」図録によると、壺は瓶(かめ)、つまり亀。巻物は経巻、浮木を表していて、「盲亀浮木(もうきふぼく)」を示している。
調べてみると、そもそも、この「平家納経」の厳王本は、お経「法華経妙荘厳王事品」を書き記した経巻だ(今更ですが)。
そしてそのお経の中に
「佛難得値 如優曇波羅華
又如一眼之亀 値浮木孔」
という文言が出てくる。
これは「盲亀浮木(もうきふぼく)」と呼ばれる説話で、
お釈迦さまが3000年に一度咲く優曇華(うどんげ)の花が咲くぐらい、また100年に一度しか浮上しない盲目の亀が、浮いている穴の空いた木の穴につっこむぐらい、人間に生まれるのは奇跡のような、ありがたいことなのだと説いている説話だそうだ。
ちなみにこの文言は、落語や講談で
「ここで逢ったが百年目。盲亀の浮木、優曇華の花、いざ尋常に勝負」
なんて使われるそうです。
さて、経巻のとなりの水辺の波のようなさニョロニョロとした線が、「値浮木孔」の「孔」を表しているように私は推理?しているが、このように文字を葦や水辺の線に隠してあらわすようなクイズのような表現方法を「葦手」(あしで)といい、「平家納経」では多く使われている。
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「厳島神社国宝展」図録には、この女房2人は「妙荘厳王本事品」で「盲亀浮木」の話をする出家した兄弟、浄蔵と浄眼を表しているという解釈もあると書いてある。
「平家納経」にはこんな謎解きがあって、あれやこれや考えるのも楽しい。怪しげな青い岩の形も「乃」のような、何か意味がありそうだ…。