まさに極楽浄土。トーハクで田中親美サンの「平家納経」を見た。
東京国立博物館で田中親美サンの「平家納経」模本の展示「平家納経模本の世界―益田本と大倉本―」展があった。私が1年近くかけて「平家納経」厳王本見返しの模写をやっと仕上げかけた2019年秋のことだ。
「平家納経模本の世界―益田本と大倉本―」👇
展示のタイミングがもっと早ければ、模写をする時にここは何色なんだろう、とかあれこれ悩んだり、苦労しなくて良かったのに…、とも思うが、
なぜか、こういうことはよくあるもので、
扇面古写経を模写した時も、仕上がった直後にサントリー美術館で展覧会があったりと。
まあ、悩みながら描けというお告げかしら。
さて、初めて見る親美サンの模本は、息を飲むほど凄まじく豪華絢爛だった。
これぞ極楽浄土。銀と銀の世界に包まれた心地。
位人臣を極めた平清盛が贅を尽くした原本を元に、大正期の財閥の人々が莫大な財を注ぎ込み、当時の工芸技術と美術の粋を結集した荘厳は、今はもう作れないかもしれない。
様々な大きさの金銀の切箔を、大量に使用した料紙の上に、さらに極彩色の文字や絵画が彩る。
過剰で下品になりそうなのに、過剰に見えない。工芸としての美的センスも尋常じゃない。平安時代の絵師、工人、もさることながら、
これを作った親美サンは人間なのか?
それどころか、裏面も、金銀をふんだんに使い、金箔銀箔の使用技法を凝らして巻ごとに意匠を変えて彩っている。圧巻である。
紙の部分だけではない。軸首(巻物の軸の巻紙部分から左右端に突出した頭部分)だけでも、繊細な金銀鍍金の透彫から、水晶が見える細工など、それだけでもまばゆいばかりに美しい宝飾品だ。
今回は東京国立博物館所属の益田本、松永本、だけでなく、大倉本(大倉集古館)も比較展示。
特別展ではなく、通常展示だったので、ほぼ独り占めで、極楽浄土を堪能しました。
しかし、冷静になって厳王本の見返しを見ると、
ガーン!
やっぱり全然違う。
そもそも地色は私が模写でやった綺羅引きではなく、銀の砂子をまんべんなく撒いたマットな銀紙のようになっており、その上に絵が描かれるという、空間を活かした豪華かつ渋みもある洒落たものだった。
ああ、もう描き直しはできない。間に合わない。
画力はともかく、画材ぐらいはせめてもう少し、本物に近づきたかった。
しかし!ここでまた私のなかで疑問がフツフツと湧きあがってきた。これって銀なのになんで黒く酸化しないのか?
尾形光琳の紅白梅図は紅白の梅を隔てる河を銀で描いているが、黒く酸化している。100年ぐらいではまだ酸化しないということか?
また謎は深まる…。