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文系学問の現状(ぬるさと非自立性)への、哲学における歴史性の観点からの言及(10000字)、その組み直し簡略版(1000字)

2021-2-001'

現行の社会も教育も近代枠組み(文系域での確定性の高低が不問)を前提にしてる一方で、
対社会や対教育では、疑わない態度の方が成立達成はスムーズにいく、という時代性と無関係な話がある。(二重の内実不問)

例えば、文章理解について、書いた者なり引用した者が持つ問題点(価値観や世界理解や世界対峙でのいらぬ飛躍)及びそれがどういう原理の下で現れてるかを捉えたり、検討する
(より確からしいものがある可能性に閉じないとか、確からしくないものをそうでないかのように扱ってる事態に対し確からしくないもの扱い対応する)ところまで踏み込む教育は条件事情的に難しいのだとしても、

踏み込めてない対象理解を、理解作用の標準だと誤解したまま、文系の知的権威(いらぬ飛躍の除去を専門的に担う)にまでなれてしまう現状況は、
質を犠牲にして量を追求がする事が要請されてる局面でもないのにそうしてる、という特殊性への普遍扱い(いらぬ飛躍)に疑問を持てない人を社会に送り出してる形なので、
文系域での実力向上に必要なケアを、これまでの教育は欠いてると言わざるを得ない。

日本に限らないこの状況(局面と着目無視を一致させる能力の早期獲得促しが、先の二重の内実不問含む、枠組みとの付き合い方の安易さへの対策に当たると期待)が、
文系域での実力向上を枠組みによって抑えつけられた状態で紡がれた歴史を実力十分だったかのように捉えてるも同然な、
文系の既存学問との遠近と知的説得力とが強く結びついてる前提での言動がまかり通る事態も、

具体化の精度無視というヘーゲルの問題点を人類の歴史が未だ保存してる(対ヘーゲルの帰結は次)せいで、
個々具体の事情に対する確定性の高低とは無関係に、例えば、市場や民主制が肯定的にであれ否定的にであれ語られてる事態も、ある意味支えてる。

場(内面なり局面なり)との齟齬を気にしない救済観を内容とする古代の理論の焼き直し
(標榜すれど似て非なる実践扱いされてる事例と中世近代の対応経緯との関係が個人的に気になります)とも言えるのに、歴史の行き着く先と称して、隙あらば一足飛びを繰り返す。

具体化精度(具体化条件の付し直し)と無関係に構成要素を取り出す(述語化観とも絡む)為に、時に疑似問題メーカーの感すらある(意義主張と実態との齟齬)。

相対化を徹底する枠組みは、己の都合の絶対主義の下で(批判含む、都合の悪いものの確からしさを切り崩すべく)持ち出す事(相対主義自体の相対化的事態)も可能な以上、欲望の内実改善とは直接的な関係ではない。

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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