1866文字、対親ガチャ論、茶番でない幸福感の手に入れ方、ご都合主義性を抜いてない個別性特徴や文系概念が根拠としてまかり通る状況の終わらせ方を添えて
2023-5-003
理想(真善美や無限者含む)との距離自体を修正対象にしてる類(現実を過剰否定する絶対主義系)の思想にも、
不可避に生じる距離だけに限定できないまま生じてる距離を許容してる類(現実を過剰肯定する相対主義系)の思想にも、
取り込まれずに済む状態(理想を割り引く程度を最小に抑える現実に相当する下で言う実存を志向してる状態)なら、
理想ポジションに在るものへの接近上限ポイントを紡ぐ歴史、および、持つ者も持たない者もそのポイントで繋がる平等世界と整合的な、
課せられてる内外条件の良し悪しによらず過去未来含めたあらゆる主体に対し、その上限ポイントからの乖離は咎めるがそれ以上は咎めない点で平等と言える態度を(例えば、対テキストや外交でも)生きれるはずですし、
当然、資質差異や環境差異に対し大騒ぎや見て見ぬ振りをしてる言説に意義が生じない次元を生きれるはずです。
なのでまず、できるだけ早く(できれば小学生期の振る舞いの根拠として)、
局面と着目無視(次元設定というある種の形式)とを一致させてる下での振る舞いは拒否する側に責任があり、
論点は局面の疑似でない個別性の把握にあるとする平等観(他者への適正な振る舞いに関する理解)、
および、局面と着目無視とが不一致なまま(一致させてれば捨象される問題に囚われたまま)為されてる対象位置づけ(誰かの期待であれ自己の拘りであれ)に取り合う価値はないとする自由観
(帰属修正余地のない状態に持ってく前の都合の下で内外境界線語る内容でなく、帰属修正余地を受容しない生という内容)を獲得してもらいましょう。
獲得が早いほど例えば、自己尊重が余裕ある局面でなお疑似化自己の尊重でないかなど、文系事象の有り様を、
同種の他との共通要素捨象用いた抽象化具体化の十分不十分の観点から評価し、その不十分さを文系空間における受容に値しないもの扱いする能力
(特に、その捨象用いた抽象化具体化の交互反復に、自己の個別性特徴や文系概念の内容はじめ、文系仮説とその検証を落とし込み、
仮説改善を上限化させる事で仮説からご都合主義性を抜く能力)の育成余地が出てくる
(個別性が根拠になる局面でのその捨象の機能程度を評価せず、上の観点持たない理解力でも評価されてしまう既存教育の価値体系に、侵食されずに済む)為、
代替不可能な内外事情にしか応じない実存と自身の獲得喪失(情報や能力や可能性込み)とを整合させる事もできるようになるので。
ちなみに、侵食を免れてる人が増えない事には、個別性が根拠になる局面での個別性捨象や個別性事実上無検討に疑問を持たず、
それらの弊害への対策に貢献しないどころか前者後者の振り替えで済ませたり傷口広げる人達、
例えば、欧米文系の産物におけるそれら側面を修正対象として取り出せない人達に文系空間が牛耳られ、
上の不十分さの解消である内実確からしさ確保でなく、内容と形態の結び付き洗練で満足する為、中身のなさを修正しない類の、
したがって、冒頭は否定肯定や有限性に関する例だけれど、表層形が同じなら内実の確からしさ差異を区別しないせいで帰属操作、
ひいては、奪い合い世界と親和的な類の知性や倫理や美意識が権威を持ち続ける事態、
場の現在の個別性と整合してるしてないに関係なく形式が肯定否定され、ご都合主義性を抜いてない個別性特徴や文系概念が根拠としてまかり通る状況は終わりません。
また、感情がそうであるように幸福感も選抜結果ですから、フェア志向でない人のそれは、ドーピングによる金メダル的な茶番であり、
内面や局面といった内在場外在場によらず、場の疑似でない個別性に即した割り振りへの支持
(感覚への加工は次善の策なので余裕のある局面では支持されない)は上の実存を生きる生に包含されてる為、
帰属修正余地を受容しない内容の自由の先に、茶番でない幸福感を獲得できる可能性もあると見なせるはずです。
(他方で、外在場軽視系の自由は、林檎を数えられないのに蜜柑はできてるつもり的な原理不在が言える点や、仮説改善の上限化に必要な具体化精度確保した検証情報に相当するものを得られない点から、
内面におけるポジションや具体的有り様の割り振りについて、それが場の疑似化を取り除き切れてない個別性との整合である事実、
ひいては、帰属修正余地があるものを大した理由なく放置してる以上、自身がより確からしいものを選んで生きてるつもりであろうとなかろうと、
より確からしいものが取って代わる運動性に機能不全を抱えたまま生きてる事実を意味してると言えます。)