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自分でない目で見る自分

わたしは、自分が自分でよくわかっていません。最近の記事でも、私はモノにこだわりはない、と言いながら、あったり。


胸の傷を、平気だと思っているはずが、涙が出たり。


半月前に、自分のことを、距離を持って見る機会がありました。3つも、同時期に。性格診断、肩書きショップ利用、文体診断。自分がよくわからないので、どれにも、興味がわいたのだと思います。


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一つ目。策士ワディーさんの記事で見た、性格診断。

ワディさん自身は、「提唱者」タイプ。noteで受ける印象とぴったりあっている気がします。

これが、記事の中で紹介されている、性格判断のサイトです。

わたしは「広報運動家」型。

あなたの職業には興味はない。知りたいのは、あなたが何に憧れ、それを叶えることを夢見ているかだ。あなたの年齢には興味はない。知りたいのは、愛や夢を手に入れるために、人生という冒険のために、馬鹿だと思われても構わないかどうかだ。
広報運動家型の人達は自立心が非常に強く、安全や安定よりも、創造性や自由をはるかに求めます。

目標達成して何かを手に入れることより、その途上のほうに、よろこびを感じる。わたしはそういうところがあるなあとは思いました。

でも、正直に、結果を見てすぐ思ったのは、どんな結果でも説明文でも、わたしは納得しただろうな、と。

また、ワディさんの記事のコメント欄で、同じ性格類型だったと報告されている人たちの名前を見ると、自分のは間違いなんじゃないかとも思いました。

それでも、解説文の中で、わたしの目をひいた言葉がありました。

その「小さな狂気の閃光」を失うな

わたしは、若い頃、いつか自分が気がふれるのではという不安がありました。後から考えると、ただ、自分について敏感で、感情の揺れが激しかっただけのことなのでしょうが。

狂気というほどの激しさは持っていません。でも、わずか、あるかないかの狂気の閃きがあるとして。それが、連れてくるもの。考え、言葉、または感情。それを失うな、と。ハッとしました。

たかが、性格診断の1行で、入れ込んで読みすぎなのかも。でも、自分のことを言っていようがいまいが、この言葉を、励ましととろうと思いました。


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二つ目。ゼロの紙さん作成の肩書き購入。

連休最後の日に、申し込んだ、肩書きショップ。肩書きがほしいというより、自分が、ほかの人から見たら、どううつるのか、興味がありました。それこそ、性格診断や占いをしてみたくなる心理と似ています。それも、ゼロさんの目を通して、だし。


ですが、申し込みには逡巡しました。肩書きを買いたいわけじゃないのに、と。なにかのプロになろうとも思っていないし。また、その料金が出せるなら、その額の分、ほかの人のサポートという励ましに使えるのでは、とか。

5月7日まで、と書いてあったなあ、もう過ぎたし、いいや、と思っていました。そう思っていたら、7日じゃなくて9日と書いてある。それに気づいたのが9日。それで、これもなにかのおぼしめし、と思い切りました。

プロのコピーライターをしていた人で、少しでもかかわりを持っている、好きな書き手が、自分のことを表す文を考えてくれる。自分への一周年記念、または、夏には誕生日もあるし、理由はなんでも、プレゼントとして申し込むことにしました。

5月25日に、いただきました。6月5日に、ゼロさんに感想と質問を送って、これが、最終版かどうかという確認もしました。

ゼロさんにもらったキャッチフレーズは5つありました。キャッチフレーズの5つの案には、どれも、わたしの重ならない一面がそれぞれ書いてありました。

ああ、私こんなふうに見えるんだ。性格診断を読んだ時と同じように、今のわたしは、どんなふうに表されても、そうなのか、と思います。

その中の1つで、わたしがいちばん惹かれたものです。

  想い出に 
  ルビふるように 
  こころつれづれ 
  うたにして

わたし、こんなことしてたんだ、と思いました。同時に、してるかどうかは別にして、こんな気持ちで書くといいんだな、とも。全部、自分のことのような、また、そうでないような。そうかなと確認するような、また、そうであってほしいことを読んでいるような。

誤解を恐れずに言えば、わたしは、もっと、自分の書くもののテーマなりジャンルなり、色合いなり、が確立してから、見てもらえばよかった、とも思いました。

肩書きを考えるのは、ゼロさんも、苦心されたそうです。肩書き案は3つあり、短文作家や詩人という言葉が、使われていました。面映ゆい気持ちになりましたし、自分ではない気もしました。そう自分を呼べるか。呼びたいか。わかりません。いつか、それを名乗りたい時がくるのかな。くるといいな、と思います。

描写は、今のわたしが使っているものを生かして、書いてくれていました。

はじまりは朗読でした。詩の声に耳を傾けていたら書きたくなりました。詩はどこから生まれるんだろう。言葉から遠く離れている時に、想いの欠片が種となって、心で育つのかもしれない。かけがえのない日常を生きて、詩がなにげなくそばにあるような。今の想いを飾ることなく綴りたい。

ゼロさんには、メールでお伝えしましたが、いただいた肩書き、キャッチフレーズ、どれも、今のわたしは使いません。その表現にしっくりくる、または、似合う気がするまで、とっておきます。ゼロさんからのお告げ、または、このショップからのプレゼントとしてだいじにします。(贈り物ではなく、購入品、ではあるんですけどね。)

このことを、ゼロさんには了解してもらっていますが、ショップ関係の方たちや、ゼロさんファンには、失礼なことをしているととられるのかもしれません。心配ですが、しかたないです。蛇足でしょうが、わたしもかなりのゼロさんファンです。


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三つ目。文体診断。あるさんの記事より。

あるさん自身も、ほかの方の記事で知られたそうです。

中で紹介されていた、文体診断のサイト。

聞いてすぐ、詩を入れてみました。

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マイナス507点で、岡倉天心。読んだことのない人なので、なんとも言えません。まあ、光栄、だれでも。マイナスの一致度でも。

あるさんの記事で、松たか子が出るらしいと知りました。それが、ちょっと他の人を浮足立たせている、とも。わたしも興味しんしんで、自分の記事を次々と試してみました。12個目で、出た、松たか子!ポルノ映画館の記事です。ポルノだったから、ではないですよね。

ポルノ映画館

文体診断で松たか子が出て、うれしくは思いましたが、見た目がそうだと言われたわけではありません。心根も。

文体判断で使われている人のリストを見ると、60人だけなので、出るパターンには限りがあります。政治家もけっこう含まれていました。文体診断を作る人も、60人分入れるの、いろいろ大変だったと思います。

そして、その60人の文筆家の中に見つけた、中島敦!わたしは、「山月記」は、日本文学でいちばん好きかも。それで、中島敦、出ないかなと思って、1つの記事で試しましたが、まったく。自分の書いたものには、どう見ても、中島敦が出ると思えるようなものは、ありませんでした。

まあ、岡倉天心や松たか子が出ると思えるようなものも、ないのですが。(読んだこともないのですが、、。)


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つかめない自分。
自分でもよくわからない自分。

自分のでない目に助けてもらいました。

とりあえず、今は、文体診断で政治家が出ないよう祈りながら、わずかな狂気の閃きを逃さず、詩人で短文作家の肩書きが似合うような、ものを書く人になれれば。

これが高望みなのか、志が低いのか。それも、わたしにはわかりません。


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