根性論の正しい使い方
(2019年3月にFacebookへ投稿した内容を加筆修正したものです)
根性論はもう時代遅れ。具体性を欠く精神論でだれかを追い詰めるのは悪。物理的な限界は存在する。それは大前提。
でも、「根性論」のまちがった使い方で他人や自分を追い詰めないようにしよう、と思いつつ、『心』が生み出す無限の可能性を信じたいなぁとも思うのだ。
根性とか頑張るっていう言葉の功罪は、この記事のとおりあると思っています。根性や頑張るということについて考えるときは、いかに《『心』がもつ可能性》を引き出すかという問題解決志向な問いの立て方が必要です。
《「つらくてもあと一歩がんばろう」》という気持ちを、いかに本人が中から感じてもらうかが大切。一方で、「つらくてもあと一歩がんばれ」という言葉は、中から気持ちを湧き上がらせているのではなく、こちらの意思を外から投げつけているだけの操作主義的な《強者の理論》でしかありません。
私は言葉の力を信じているけれど、それは「説得」のツールとしての言葉ではなく、相手の気持ちにアプローチして《『心』がもつ可能性》を引き出すための言葉です。
なので、《『心』がもつ可能性》を引き出すという意味においては、上のツイートにもあるとおり、言葉の力だけに頼るのは危険であるとも言えます。言葉だけに注意を向けるのではなく、「その言葉を発しているあなた」が「模範」として相手の目に映っているか、という自問自答をもあわせて行うことが必要だと思っています。
ただ、「根性」と「無茶」の線引きというか、レッドゾーンがどこかがよくわからないから、「根性論」はむずかしいのだ。
だから「使わない方が無難」という答えになる。
根性論に話を戻すと、《使わない方が無難》というヒューリスティックスに逃げ込まないで、ちゃんと相手と向き合うことで、《『心』がもつ可能性》を引き出せるようになりたいです。
といった内容をFacebookに投稿したところ、こんなコメントをいただきました。
心地よさが産み出す生産性アップが当たり前になってきたのかな、とも思います。
他方、何でもかんでも楽しい仕事というわけでもないので、大きなビジョンと信念が重要ですよね。
2021年5月にあらためてこのコメントを読み返すと、「心理的安全性」(心地よさが産み出す生産性アップ)や「組織としての求心力」(大きなビジョンと信念)といった、最近考えることの多いキーワードが頭に浮かんできました。
根性論の隠避が、心理的安全性や組織としての求心力につながるというのが、大きな気づきでした。
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