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相手の靴を履く
前回は、本人(育てられる側)が「変化」を起こし、それに対してあなた(育てる側)が「反応」を返すという、人を育てるうえでの根源的なサイクルについて書きました。
人を育てる、フィードバックと言っても、難しく考える必要はないのです。
人と人が対等に向き合う関係性において、「(本人が)頑張る」「(あなたが)見る」「(あなたが)伝える」「(本人が)また頑張る」という、シンプルなサイクルを少しずつ回していく。
ただし、いつもより少しだけ解像度を上げて。
こういった根源的な価値観を踏まえたうえで、次回からは、技法としてのフィードバックについて、書き連ねていこうと思います。
今回は、「反応」の前準備とも言える、「(あなたが)見る」について書いてみます。実はフィードバックというのは、「伝える」以上に、「見る」ことが大切。
ちなみに、「見る」の大原則のひとつは、以前に紹介した「解像度を上げて見る」ということ。
育てる側がやれることの精一杯は、変化を引き起こし、見つけること。
(中略)
「変化していない」を、本人ではなく育てる側を主語にして捉えなおせば、「変化が見えるほどに解像度を上げられていない」という言い方になります。
『育てる側が約束できること』
解像度を上げるのに加えて、視線がどちらを向いているのかということが大切。本人が「していない」ことを挙げるのか、それとも、「している」ことを想像するのか。
報告しない部下は、「報告しないでおこう」と思っている?
「報告しない」
「1人で抱え込んでしまう」
「中途半端な状態で提出する」
「これくらいでいいやと思っている」
「主体性がない」
あなたの部下にも、ひとつくらいは当てはまるでのはないでしょうか。心中お察しします。
僕のところにもこういった相談は多いです。そんなとき僕はこんなふうに質問してみます。
「報告しないとは、それは困りましたね。ところで、本人は、『報告しないでおこう』と思っているんでしょうか?」
こういう質問をすると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされることが多いです。そして一瞬の間が空いたあと、返ってくる答えはだいたいこんな感じです。
「いやいや、そんなわけないでしょう。もしそんなこと思ってたら、それこそ救いようないですよ」
ですよね。「そんなわけない」ですよね。そう、「そんなわけない」はずなんです。いや、本当の本当のところはわかりませんよ。それは本人のみぞ知るところのものだし、もしかしたら本人ですらそんなこと考えたことないかもしれない。
そして、変化を見つけるためには、「よく見る」ことです。
それも、なんとなく見るのではなく、「変化があると思って見る」ということです。
相手を信じる、ということですね。
『育てる側が約束できること』
でも、育てる側であるあなたは、本人の本心がどうであろうと、まずは「信じる」ところから始めるしかないわけです。上の返答でも、まだ「救い」があることを、あなたは匂わせていますよね。
だとすると、その部下は何を「して」いる?
フィードバックの前準備としての「見る」は、あなたのそういった信心を、言葉に変換するところから始まります。
「報告しない」部下は、「報告しないでおこう」と思っているわけではない(はず)。だとしたら、彼/彼女は、何を「しよう」と思っているのでしょうか?
◆「報告しない」→「◯◯しない」(不作為)
◆「1人で抱え込んでしまう」→「抱え込む」(ネガティブ・ワード)「◯◯してしまう」(悪意)
◆「中途半端な状態で提出する」→「中途半端」(ネガティブ・ワード)
◆「これくらいでいいやと思っている」→「◯◯でいいや」(怠慢)
◆「主体性がない」→「◯◯がない」(不存在)
育てる側が育てられる側について語るときの言葉遣いには、上のようなメッセージが暗黙のうちに埋め込まれていることが多いです。それはダメだ、というわけではありません。育てる側の目には、そのように映っているのは間違いないのですから。
「育てる側(あなた)の目」には、そのように映っている。では、「育てられる側(本人)の目」には、どのように映っていたのでしょうか。本人の目に映る景色を想像するところから、「信じる」が始まります。
◆「報告しない」→「◯◯ができてから報告しよう」
◆「1人で抱え込んでしまう」→「なんとか自分でやり遂げよう」
◆「中途半端な状態で提出する」→「何度も確認したから提出しよう」
◆「これくらいでいいやと思っている」→「自分が期待されてることをしっかりやろう」
◆「主体性がない」→「自分に求められているのは◯◯だからそれをがんばろう」
こうやって本人の目に映る景色を想像してみると、どのケースも本人は何かを「しよう」としている。ただし、「何を」「どれだけ」「どうやって」するかという期待値があなたとズレているために、仕事としてうまくいっていないわけです。
だとすると、あなたがやるべきことは、「なんで◯◯しないの?」と、不作為の理由を問いただすことではなく、「◯◯が△△するまで□□というやり方でやってほしい」と期待値をすり合わせることです。ちなみに、「◯◯が△△するまで□□というやり方でやってほしい」という言い方でもって本人と期待値をすり合わせようとすると、仕事を分解することが必要になります。
本人に課している仕事を、育てる側が細かく分解すると、「できた」「できない」の解像度が上がります。
本人にとっては、「次に目指すべき場所」が明確になります。
いわゆる、サブゴールを設定するというものです。
『育てる側が約束できること』
あなたの視線はどちらを向いている?
育てる側が育てられる側を語るときの言葉には、不作為(◯◯しない) / 不存在(◯◯がない) / 悪意(めちゃくちゃにしてやろう) / 怠慢(◯◯でいいや) / ネガティブ・ワードが自然と紛れ込んでしまいます。それはそれで、育てる側の素直な心情なので、否定されるものではありません。
でも本人は、自分の行動を決めるときに「◯◯しないでおこう」(不作為)とは決めないと思うのです。なにかしらの作為(◯◯する)として決めているはずです。悪意や怠慢についても同じです。めちゃくちゃにしてやろう、なまけてやろう、と思って仕事をしている人はいないはずです。
この、「◯◯なはず」というのが、相手を信じるということです。その信心をもって本人を見れば、彼/彼女を表す言葉には自然と「△△なので◯◯する」という意図と作為が立ち上がってきます。
人と人が対等に向き合う関係性において、「(本人が)頑張る」「(あなたが)見る」「(あなたが)伝える」「(本人が)また頑張る」という、シンプルなサイクルを少しずつ回していく。
ただし、いつもより少しだけ解像度を上げて。
『テレパシーで人を育てようとしていませんか?』
本人が考えている意図と作為を正しく引き出す(見る)、それらとあなたの期待値をくらべる、すり合わせる(伝える)というのが、フィードバックの第一歩です。伝える前に、見る。見る側であるあなたの視線が大切。見たものを伝えることになるから。