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「メンバーを育てる」ことで「リーダーが育つ」職場を目指して | 『対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』

「リモートワーク時代の教え方の新常識」を、理論と実践の高次なバランスのなかで紹介してくれている、関根雅泰さん/林博之さんによる共著『対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』。私も実務のなかで大いに参考にさせてもらっています。

ここでは、本書を題材にしつつ、「リモートワーク」「OJT」という本書の中心的テーマを飛び越えて、企業人事として考えた「働くこと」「育てること」について書き連ねています。前回は、「自律型人材」というキーワードに着目して、組織が組織として成立するうえで、「人を育てる」ということがどういった意味をもつのか、ということを書きました。

今回は、「他人に教えると、かえって自分のほうが勉強になる」という、どこかで聞いたことのあるような言葉、もしかしたら、みなさんも感じたことのあるかもしれない印象に、(執拗なくらいに)着目します。そのことを通して、企業人事としては「新卒/中途ふくめた新規入社者のオンボーディング」という本書が扱う時間軸の次に気になる段階、「リーダー育成」というテーマについて書いてみます。

【注】
なお、今回は、「育成すべきはリーダー(という人物)なのか、リーダーシップ(という行動/現象)なのか」「リーダーとマネジャーは何が違うのか」といった問いには立ち入りません。引用部分ふくめた文中での「リーダー」「マネジャー」という言葉は、両者とも特に区別せずに、「部下を持った人」くらいの緩やかな定義で捉えてほしいと思います。また、組織内の階層という意味では、経営層にあたるいわゆる「エグゼクティブ」ではなく、経営と現場をつなぐ「ミドル・マネジャー」をイメージしています。

「立場が人を育てる」というメカニズム

前回の記事では、教えるという行為が、教わる側と教える側の関係性に与える影響を紹介した。

育てることは、人と人のつながりを生む。それも濃密な。そこにいる「その人」(自分を育ててくれた恩人)と、一緒にいる必然性を生む。それは紛れもなく、物語であり、求心力であるはずだ。しかも、組織という「外から持ち込まれた」物語ではなく、個人と個人のあいだの関係性という「内から生み出された」物語という意味で、力を持つ。

自律型人材が集まる組織とは? | 『対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』』より

教えることは、単に教わる側のスキルが上がることにとどまらずに、教わる側のなかに、「その人(教える側)と一緒にいる必然性」というポジティブな副作用を生み出す。このポジティブな副作用は、組織にとって求心力としてはたらく。だから、人を育てるということは、組織にとっては、単なる「機能」を超えた、そしてもちろん、決して「重荷」などではなく、自らを存立させることそのものなのだ、と。

「他人に教えると、かえって自分のほうが勉強になる」という、今回取り上げる一般的な感覚は、教えることが持つ、もうひとつのポジティブな副作用だ。

この望ましい副作用は、個人と組織という2つの視点によって捉えなおすことができる。個人のレベルでは、字義どおり、「他人に教える」という行為は「自分が教わる(学ぶ)」ことを誘発するという点において、ある特定のスキルを身につける方略として解釈できる。

一方、企業人事(組織)の目から眺めると、メンバーを育てることがひいてはリーダーを育てることにつながっているという、「循環」のメカニズムがそこには透けて見える。「立場が人を育てる」という一般的感覚も、このメカニズムの一種と言えるだろう。

今回は、この後者の企業人事(組織)目線による「他人に教えると、かえって自分のほうが勉強になる」に着目することで、リーダー育成を考えてみたい。

「リーダーになると、やることが増えて大変です」

「教える−教わる」という関係性をいったん離れて、そもそも「リーダーになる」「リーダーを育てる」とはどういうことだろうか。以前、こんなことを書いてみた。

新任マネジャーの成長課題

◆ 業務範囲の拡大
◆ 価値観の転換

前者は望むと望まざるとに関わらず、外から押し寄せてくるし、押し寄せてくる波そのもの(追加された業務)も目に見える。そのため、周囲の明示的な支援も受けながら、乗り越えていける。

一方で後者は、高度な内省がなければ課題そのものに気づけない。かつ、前者によって時間が圧迫されれば、なおさら内省が進まないという悪循環。

新任マネジャーが抱える2つの難題』より

「仕事」の本質のひとつに、Get things done「物事を成し遂げる」という言葉がある。この言葉を使うと、2つの成長課題の違いがよくわかる。

「業務範囲の拡大」は、「Get things done」の「things」が量的に増えることにあたる。出張費申請に対する承認などの社内手続き的なものから、部下の評価業務など多岐に渡る。いわゆる「管理職」という役職に対して、業務分掌上付与される「作業」が増えることを指している。

私は新人研修を担当しているので、送り出した新人が現場でリーダーまで駆け上がったときに、彼/彼女から「リーダーになって、やることが増えて大変です」という声を聞くことがある。これは、彼/彼女が業務範囲の拡大という成長課題にぶち当たっていることを表している。(彼/彼女にとってはもちろん大変なことなのだが、彼/彼女の新人研修当時を知っている私からすれば、こういう声を聞けること自体は、彼/彼女が大きく前に進んでいることを示しているので、嬉しいことだったりする)

一方、「価値観の転換」は、自分に求められているものが、「Get things done」(「自分で」物事を成し遂げること)から、「Getting things done through others」(「他者を通じて」物事を成し遂げること)へと、変化しているという現実に「気づく」こと、そしてその新しい現実に適応するために、自身の価値観を「変えて」いくことを指している。

「やることが『増えて』大変」と言っているうちは、自分に求められているものが質的に変わったことを自覚できておらず、第一の成長課題にとどまっている段階なのだ。「やることが『変わって』大変」と言えると、第二の(そして本丸の)成長課題に進んでいる証拠と言える。

送り出した新人に限らず、私がよく聞く言葉(ボヤキ)に、「メンバーの面倒もみながら、自分も成果を出さなきゃいけないから大変です」というのがある。「自分の成果」という、以前の自分なら(難なく)できていたことに、「メンバーの面倒をみる」という「付加的な」作業が増えたために、時間が圧迫されてしまい、もともと(難なく)できていた「自分の成果」が出せなくなっているという悩み。残念ながらこれは、through othersの観点が、すっぽり抜け落ちてしまっている。「メンバーの面倒もみながら」ではないのだ。「メンバーが持っている能力を引き出すことによって」「(自分個人で出せるよりも大きな)チームの成果を出す」という景色を想像することが、第二の成長課題を乗り越えるためには必要だ。

リーダーになるために、「がんばらない」

「メンバーの面倒もみながら、自分も成果を出さなきゃいけないから大変です」という相談が持ち込まれたときは、Get things doneとGet things done through othersの違いを話して、彼/彼女が第二の成長課題に目を向けられるような話をすることがある。

その会話によって、何をやるべきかがはっきりして、「がんばります!」という言葉を発してくれるときがある。このとき私は、冗談半分、本気半分で、「がんばらないほうがいいよ」という言葉を返す。「がんばります!」というのは、「脇目も振らずにがんばります!」とほぼ同義。良く言えば「集中」、しかし、悪く言えば「視野狭窄」なのだ。

第二の成長課題が求めているのは、「がんばり方を探る」ことだ。今までのGet things doneという「メンバーとしてのがんばり方」を離れて、Get things done through othersという「リーダーとしてのがんばり方」を探す旅。その道中において、探しものが隠れているは場所は、いままでメンバーとしての自分は目もくれていなかった(視野狭窄)、道草や余白のなかだったりする。この、今まで目もくれていなかった道草や余白のなかを覗き込むには、走り続けるのではく、いったん立ち止まり、「内省」というライトでそこを照らさなくてはならない。

「今まで(メンバーとして)成し遂げてきたことはなんだろうか」

「そのときの成功要因はなんだろうか」

「当時(メンバー)と今(リーダー)とで、自分が置かれた場所はどう異なるのだろう」

「自分の立ち位置が変わったことによって、『今までの成功要因』がかえって、邪魔をしていないだろうか

『今までの成功要因』を手放すことによって、見える景色はどう変わるだろうか」

「今までと違う景色が見えたとき、そのなかでの『新しいがんばり方』とはどんなものだろう」

前回からの「教える−教わる」という関係性をいったん離れて、そもそも「リーダーになる」「リーダーを育てる」とはどういうことだろうか、という問いを考えたとき、そこには、「価値観の転換」という(「業務範囲の拡大」とは別の本質的な)乗り越えるべき成長課題が浮かび上がってくる。これを乗り越えるためには、「脇目も振らずがんばる」のではなく、いったん立ち止まって、自分の来し方(メンバーとして過ごした時間)を見つめ直し、意味づけし直すことが求められる。

その過程では、今までの成功要因を手放すという、本人にとっての痛みがともなう。しかし、この産みの苦しみは、価値観を転換するためには必須の過程でもある。いちど手放してできた余白にしか、新しいものは入れられない。余白を増やさずに新しいものを入れようとしていたら、それは量的な拡大、すなわち第一の成長課題に取り組んでしまっていることを意味するからだ。

リーダーを育成するとは、第二の成長課題を乗り越えさせること。ただし、第二の成長課題は、一足とびに「乗り越える」ことはできない。まずはその存在に「気づく」こと。さらには、今までのメンバーとしての成功要因を「手放す」という、本人にとって痛みのともなう助走期間が必要になる。

新しい「がんばり方」

リーダー育成における第二の成長課題は、「気づく」「手放す」という助走期間を経てはじめて、「乗り越える」(スペースの空いたカバンに新しい武器を入れる)ための端緒につく。「乗り越える」うえで、through othersを「他者への向き合い方」として捉え直してみよう。そうすると、through othersとは、目指す先(目標)を掲げて、そこに進むときの阻害要因を取り除く(支援)ことと言い換えられる。

「目標」と「支援」は、本書では以下のように取り上げられている。本来は、「新規入社者のオンボーディングとしてのOJT」(リーダーがメンバーを育てる)という文脈での説明だが、これを、「メンバーを育てようとすることで、リーダーが育つ(第二の成長課題を乗り越える)」という逆の視点で読んでみてほしい。

この「育成目標」がないままだと、指導が行き当たりばったりの適当なものになるリスクが 高まります。
「とりあえず、これをやっておいて」と、場当たり的になってしまうのです。
それは、教わる側にも当然伝わりますので「この人、あまり考えてくれていない……」と、こちらへの信頼感が薄れてしまうおそれがあります。

また、育成目標がないと、今やっている仕事が自分の成長にどのように関わるかが伝わらない可能性が高いでしょう。
向かう先がわからない中、真っ暗闇をさまようことになってしまうのです。

それに対して「育成目標」があれば「理由」を説明できるようになります。
部下・後輩から「なぜ今、この仕事をやらないといけないんですか?」と問われた時に「なぜなら君には育成目標に向けて◯◯が必要だから、今、この仕事をやってもらうんだよ」と自信をもって伝えることができます。

対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』より
(略)新人に過剰な負荷がかかる「過負荷」状態です。手持無沙汰にならないようにと周囲が気を使って色々な仕事を任せるうちに、新人が処理しきれずにアップアップになってしまうという状態です。
こうなってしまう要因は2つあります。

①新人が先輩から依頼されたら、仕事を断れない
②増えた仕事の優先順位づけができない

この「過負荷」状態を防ぐためにも、育成担当者は、新人が「今、誰からどんな仕事を受けているのか」という業務状況の把握が必要になります。
そのうえで、新人のキャパシティを超えているようであれば、後から入ってくる仕事を断ったり、あふれた仕事を自分が引き取ったり周囲に振ったりという、いわば交通整理が必要になるのです。

対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』より

「メンバーに対して仕事の意義を説明する」(そのためには自分が仕事の意義を理解していなければならない)であったり、「メンバーの仕事の全体像を見渡して交通整理をする」(そのためには自分が全体像を見渡せないといけない)といったように、リーダーの側に「いままでと違う景色」を見せるような力学がはたらいていることが感じられるだろうか。

このように、through othersという(わかったようなわからないような)「概念」は、目指す先(目標)を掲げて、そこに進むときの阻害要因を取り除く(支援)こととして、(手触りの感じられる、したがって、「自分にもできそう」と思える)「手続き」に具体化できる。

なお、ここでの「支援」には以下の3種類があることを付記しておく。(私がOJTについて現場から相談を受けるとき、必ずこの3種類の区別を伝える。それくらい、OJTにおける重要概念だと思っている)

職場の多様な人々から「内省支援」「業務支援」「精神支援」を受けて、新人は成長していきます。
・「内省支援」:客観的な意見や振り返る機会の提供といった本人が自己を省みる手助け
・「業務支援」:仕事の相談に乗る、必要な情報を提供するといった仕事の手助け
・「精神支援」:精神的な安らぎや心の支えといった安心感を与えるような手助け

対話型OJT 主体的に動ける部下を育てる知識とスキル』より

それは、「本人の問題」なのか?

「手続き」としての育成を考えるとき、メンバーを育成するという本来の目的においてはもちろん、今回取り上げている(メンバーの育成を通じて)リーダーを育成するという文脈においても、「阻害要因」という言い回しが、実は大切だと感じている。「阻害要因」が指している内容はふつう、「本人の課題」「本人のスキル不足」などと表現されることが一般的だ。それにくらべて、「阻害要因」という言い回しには、「本人(メンバー/教わる側)の中身ではない」感、あるいは「本人(メンバー/教わる側)の外側」感が漂う。

ワクワクする行き先(目標)を伝えて、本人がそこへ向かう過程で、足元に転がる石ころ(阻害要因)を取り除く(支援)。このとき、「足が遅い」などの「本人の中身」には立ち入らない。本人の可能性を信じるのであれば、それさえしてあげれば、本人は力強く行き先まで向かうはず。

現場を救うのは、価値観ではなく手続き

こういった物言いに、違和感を覚える人も多いだろう。「そんなわけないでしょ」「本人の問題ということもあるでしょ」「甘やかしたらダメでしょ」などなど。その違和感は、まったく否定しない。もちろん私も、「こりゃ本人の問題でしょ」と思うことはある。

ただ、注意してほしいのは、ここで取り上げているのは、深遠な「人間観」の問題ではなく、現場で使える「手続き」だということ。仮に、「彼/彼女は本当にできるのか?」という問いをたてて、「否、できない」という結論を出したとして、その後に取り得る打ち手にはいったいどんなものがあるのだろうか。「彼/彼女はいらないので、別の人をください」だろうか。そんな打ち手が、現場で使えるのだろうか。

そもそもの問いのたて方が間違っているのだ。たてるべき問い、現場を救う問いは、「彼/彼女は本当にできるのか?」ではなく、「仮に彼/彼女は本当はできるとしたときに、実際は今できていないので、そこ(彼/彼女の外側)にはどんな阻害要因があるのだろうか?」のはずだ。

なお、現場で使える、手続きとしての育成については、上記のマガジンに書き溜めています。今回で育成に対するイメージが少しでも変わったら、ぜひ読んでみて、そして、使ってみてほしいと思います。

「環境」としてのあなた

育成がうまくいかない典型例は、本人「を」変えようとすることだ。これを本人の側から見ると、「『私』を変えさせられる」ということ。育てる側は、「あなたは、他人に自分を変えさせられたいですか?」と、自問自答してみるとよい。(このあたりの話は『人を動かす』を読むのがいちばん)

本人ではなく、本人を取り巻く環境を変えるのだ。

「使いやすいデザイン」を実現するためには、人間と環境の間の相互作用を考えるのが大切という内容です。「人間と環境の間での相互作用によって、人間の側に変化が起こる」という、人材育成の原理原則を肌身で感じる原体験です。相手を直接的に変えるのではなく、(自分を含む)環境を変えることによって、相手に変化を起こそうとする価値観はここから来ています。

【自己紹介】研究者→ITコンサルタント→人材育成という円環(赤坂優太)』より
「研修」を、「受講者に投じるもの」ではなく、受講者がそこをインプット/アウトプットとして通過していくプロセスとして捉えてみました。そのとき、人材育成担当者(あなた)は、プロセス全体を見渡せる場所に立っています。

「良い研修」のための、はじめの一歩』より

本人を取り巻く環境における大事な要素、それが「他者」(教える側)である。through othersという価値観や、阻害要因を取り除くという支援のかたちは、「教える側にいる自分こそが、率先して変わりなさい」というメッセージを発している。

どう変わるべきかと言うと、Get things doneの価値観から、Get things done through othersの価値観へ、だ。これは、第二の成長課題に他ならない。through othersという価値観は、目標と支援という手続きに分解できる。目標と支援という手続きを通じて、「メンバーが持っている能力を引き出すことによって」「(自分個人で出せるよりも大きな)チームの成果を出す」という、新しい景色を目にすることができたら、それは、「自分が変った」というなによりもの証拠と、そして自信になるはずだ。

「われに支点を与えよ。さらば片手で世界を動かさん」

「他人に教えると、かえって自分のほうが勉強になる」というのは、教えようとしているスキルについて、教わる側と教える側双方への水平展開が起きることを言っている。一方で、「OJT」を(その本来の目的である「メンバー育成」と並行して)「リーダー育成」の場として捉えると、「他人に教えると、かえって自分のほうが勉強になる」という言葉は、より深い意味を持つ。

それは、スキルの水平展開(この場合、教わる側と教える側は、本質的には「同じスキル」を学んでいる)ではなく、リーダーの側に「Get things doneからGet things done through othersへ」という、リーダーの要諦をなす「価値観の転換」を誘発する、というものだ。

企業人事としては、この機を逃すまいと思うのだ。多くの企業人事と話していて、どこも「新卒/中途ふくめた新規入社者のオンボーディング」と「リーダー育成」に悩んでいる。企業人事の日常の実感としては、まず取り組むべきは「新卒/中途ふくめた新規入社者のオンボーディング」であり、それが一段落すると、次は「リーダー育成」という新しい課題が視野に入ってくる。

しかし、最近強く感じるのは、「リーダー育成」というのは「新規入社者のオンボーディング」の「次にやってくる」課題ではなく、「同時に取り組むべき」課題なのではないかということだ。いま「取り組むべき」と書いたが、これは決して「義務」や「重荷」ではなく、「取り組むほうが、個人(リーダー予備軍)も組織(企業人事)も、みんなうれしい」という前向きな「可能性」のイメージを込めている。一石二鳥という打算的な言葉も頭をよぎるが、そうではなくて、個人と組織のメカニズムから逆算することで打ち手を見出し、「みんなうれしい」を(through othersの価値観でもって)成し遂げたいと思う。

===

今回は、「他人に教えると、かえって自分のほうが勉強になる」というよくある話を、企業人事(組織)目線から捉えなおすことで、「メンバーへのOJT」という本書の主題と、「リーダー育成」という(もう一つの)永遠の課題を架橋してみました。

次回は、価値観の転換を手続きにブレイクダウンするときの方向性として、「目標と支援」とは別の方向性について書いてみます。


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