ドストエフスキー「悪霊」

この作品は時々、というか数年に一度くらい読み返したくなる。
「罪と罰」は犯人が分かっていてじわじわ追い詰められる感じがあまり好きではなく、「白痴」は結末付近の描写は息を呑むものだが全体的に少々退屈な部分もある。「カラ兄弟」は重量級なので読み返すのにちょっと度胸が必要である。
「悪霊」は分量的にまずまずで、何よりスリルとサスペンスがある。自殺することによって神になるというキリーロフの言説、純粋なシャートフ、これら二人に思想を吹き込む「悪魔的超人」スタヴローギン、その腰巾着であるピョートル……実に多種多様で面白い。
普段は全然推理小説を読まず、ましてや愛読している犯罪物の小説は皆無である。これは別に犯罪を描写しているものが不快だというわけではなく、わが国で出ているものは九割九分、謎解き、犯人捜しのパズルを解くためのものだと思っている。そういうのは一度読んだらもういいや、となってしまい読み返すことはない。
まあ特に現在では、犯罪をそそのかす表現はエンタメでも(純文でも?)自粛する動きがあると思う。古来より、悪を描く物語は、悪には裁きが下るものだという教訓を与えるものが多いだろう。主人公が悪をなす場合、最終的には主人公は破滅して終わってしまう。
だから「悪霊」のように、悪がうようよいる作品で、しかも説教の調子で「こういうことをしてはいけない」と頭ごなしに言うのでなく、悪をなす者たちがそれぞれの理由(自由思想とか限りない退屈とか)で滅びていく筋書きが、人間というものを実に見事に描いていると思われ、いつまでも興味を惹くのである。
ドストエフスキーはバルザック「人間喜劇」の影響を受けており、私は「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」くらいしかまだ読んだことがないが、やはりこれらの文豪が人間の本質を見る目は実に鋭い。
「カラ兄弟」がとりあえず読むべきものとして挙げられることは一時期多かったと思うが、こちらもむろん素晴らしいけれど、「悪霊」はいつまでも私の愛読書であり続けるだろう。

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