「プラグマティズム」(岩波文庫)
プラグマティズムは、ある思想がどういう結果(行動)を引き起こすかに着目する観点である。私が初めてこの本を手に取り、またプラグマティズムという言葉の内容を知ったのはけっこう前のことである。その頃から、少しずつ自分なりに古今の哲学の主要な著書(といっても、膨大にある中で文庫本で簡単に手に入るようなものがほとんどだったが)に当たり、難しくてよく分からないものが多かったものの、このプラグマティズムは極めて分かりやすいと思った。ただこれは、哲学思想というよりも方法論というべきで、実世界における現象を感官で受け取り考える場合に、結果に着目するため、極めて実際的な、ひょっとするとかなり「役立つ」思考法ではないかと思ったものである。
これに対し、合理論というのはアリストテレスの時代にさかのぼるが、私もあの難しい「形而上学」を一応通読したので少しは分かる。「神の存在証明」は「形而上学」の末尾の章にあるが、いわば理屈をだんだん積み重ねて、どうしても第一原因としての神というものは存在しなければならん、と述べていたように思う。現代世界に生きて、自然に目を向けても、神が存在するということは全然自明には思えないが、頭の中で考えてこね上げた神を「所有」しているのは、けっこう気分が良いのではないだろうか、と邪推するものである。
このたび、「プラズマティズム」の本に傍線を引きながら通読したが、大変面白い読み物である。プラグマティズムはいい、と単純に思うのも事実だし、それに反するものとして、初学者にも分かりやすい反証(合理論)を挙げて説明しているのが分かりやすい。
この雑記は別に学問の裏打ちもないものだが、当NOTEでは記事を書く人がわざわざ「クリエイター」と称されている。雑文を書く者が皆クリエイターなのか、と疑問はあるが、なんとなくウェブログの延長で試してみたユーザーが、「クリエイター」という呼び方に安心するとしたら、雑文だけでなく物語を作るとかしている場合であろう。しかし似而非クリエイターは当NOTEに於いて、主語をやたら大きくする癖があるようで、「私は」と題するべきところを「○○者は」とかって書くパターンがみられる。これはまず題名で読者を集めるために良い方法ではあろうが、少々意地汚いと思うのも事実である。
以上の記事はともかくとして、私としては物語を創作するに当たっては、世界観をあまり考えないタイプである。つまりなんとなく日常的な、常識的なフツーの世界を利用する。しかし「プラグマティズム」を読んで、世界の仕組み、それこそ神に始まる仕組みを一から構築するのって(大変だけど)楽しいのではないかと思った。まあそういう世界の物語でも、結局活躍すべきなのは人間の主人公であろうし、普通の人間にしたほうが読者の共感を呼び易いと思う。私は現実界では神を否定もしないし、普段考えが及ぶこともほとんどないのだが、物語の中で、一度くらいはまともに「神を創造」することに取り組みたいものだと思っている。