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【映画・ドラマ記録】『夜が明けるまで』"Our Souls At Night"に我を重ねて

QPさんとの週末のムービータイムにネットフリックスで"Our Souls At Night"『夜が明けるまで』(2017年作品)、ロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダ主演作品を見た。

「どひゃー!しばらく見ないうちにRレッドフォード、こんなにおじいちゃんになっていたんだ!!」

高校生のころのわたしは、英語の教科書にロバート・レッドフォード(アラ40)のポスターをブックカバーに使っていたことを思い出した。

よくよく考えればブックカバーにして喜んでいたティーンエイジャーのわたしが63歳なのだから当たり前だ。

ストーリーは、特に親しくもないけど長年近所に住み、お互いに伴侶を失った一人暮らしのアディ(J フォンダ)とルイス(Rレッドフォード)の物語。

ある日、アディがルイスのもとを訪れ、孤独な者どうしでお互いに寝付くまでおしゃべりしない?と持ちかける。はじめは気乗りしなかったルイスが、人目をはばかりながら誘いに応じる。

だんだんぎこちなさが解消されて、お互いの長い過去の歴史を語り合いながら親睦を深める。性的な関係を求めてのことではないけれど、添い寝しているうちにだんだん親密になりお互いの存在が自然と心地よくなっていく。

これもし若いときに見ていたなら、ふたりの気持ちは理解できない作品だと思った。

そして、このときの感情がよみがえった。

夫しか知らなかったわたしが、はじめて彼の腕の中でぬくもりを感じたとき、「わたしの精神と身体が求めていたこと」がはっきり実感できた。わたしは性欲を満たしたかったわけではない。

心から安心できる人のぬくもりを感じたかった。

長いあいだ当たり前にあった夫のぬくもりを失うとは考えたこともなかったのに、死別という形で失いことの重大さに気付いた。

みつけられるものなら、また手に入れたいと思った。

だからこそ、再び信頼できる人に巡り会えて、その腕の中でぬくもりを感じられることが、どれほど価値ある幸せなことか。

愛する人がいない孤独、愛してくれる人がいないさびしさは残りました。

人は生きている限り喜怒哀楽を感じます。長い間共に笑い、怒り、悲しみ、楽しみ、そのたび話し、手をつなぎ、抱擁してきた相手を失ったことは、確かな物足りなさとして心に突き刺さりました。

3年前、夫の手を握り続け励ましていた自分の姿と痛みに苦しみながらわたしの手を掴んでいた夫。夫との別れの日のことは鮮明な記憶となってわたしの脳裏に焼き付いています。最期の息が終わったとき「じゃあ、わたしの手は誰が握ってくれるの?」という恐怖にかられたことを覚えています。

消えていく命に対しての覚悟があったものの、これから先をいっしょに歩める人がいなくなったことに身の縮む思いでした。そのとき、生きていくうえで愛する人がいること、愛されていることがいかに心の安定に欠かせないことだったのかと気づきました。

by yahoi

高齢者の孤独って、日本でも今や社会問題となっているのでその意味でもいい映画だと思った。

孤独の害は科学的にも立証されている。

うつ病、自死、認知症、あらゆる病気、生活困難などのリスクは孤独によりさらに高まる。もし高齢だからとか、めんどくさいからとあらたな関係(男女に限らず信頼できる)に後ろ向きであるなら、全てのリスクを自ずから高めるのと同じことだ。

もちろん、リスク回避が目的ではなくお互いの幸せのためだけど、今のわたしは、添い寝できる人がいることに心から感謝している。いくら家族関係が安定していたとしても、娘や息子と添い寝することはないわけで、親子関係は信頼できるパートナーとは同列にできようもない。

だからこそ、アディが添い寝することをもちかけるくだりには深く頷けた。

おしゃべりをして添い寝するだけだった二人が心地よい関係となっていくのは、両者が失敗や経験を繰り返してきた者同士とし相手を理解できる度量を蓄積した大人だからでもある。

QPさんもまた、波乱を乗り越えてきた末に今に辿り着けたことに心から安らぎを感じ、感謝できている男だ。

まるでわたしたちみたいねっと言いながら見た。

日本語字幕付きで見える









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yahoi /ライフエディター・エッセイスト
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