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しょせん他人事ですから「主婦ブロガー炎上編」感想

「だって木下さんみたいな人はどこにでもいるから。」

SNSは今や現代人にとって生活とは切っても切り離せない存在となっている。SNSの発達によって簡単に情報収集できるようになり、はるか遠方に住んでいる人ともコミュニティを築けるようになり、自分の得意分野をアピールすればビジネスに繋がることだってある。匿名であれば現実世界の自分とは異なるキャラクターを演じることだって可能になった。そんな“便利”が詰まったSNSにのめり込む人も少なくないだろう。
しかしSNSの急速な発達とともに最近よく耳にするのがSNS上でのトラブルだ。一つのきっかけで特定の対象に対して大量の批判が集まる「炎上」であったり、偽造した動画や写真による「デマの拡散」であったり。SNSを巡るトラブルは後を絶たない。
「ネットやらなければ大丈夫」「自分はネットリテラシーがあるから大丈夫」「ネット上のトラブルなんて“他人事”じゃん」
そんなふうに思っていたら次にトラブルに巻き込まれるのはあなたの家族、友人、もしかしたらあなた自身かもしれないーーそう問いかけてくるのがこのドラマだ。

「主婦ブロガー炎上編」(1〜2話)では、人気主婦ブロガー桐原さんが下劣なデマを拡散され、電話番号まで晒されて、金と時間を注ぎ込む覚悟で誹謗中傷犯と戦う様子が描かれていた。実は誹謗中傷を繰り返していた犯人は同じマンションに住む木下さん。挨拶程度の関わりしかないはずの木下さんがなぜ桐原さんのデマを拡散し、執拗に誹謗中傷し続けたのか?言い訳ばかりを並べ立てて反省する様子を見せない木下さんを相手にどんどん心を擦り減らしていく桐原さん、風変わりな弁護士保田は彼女にどのような道を示すのか?

ドラマの見所の一つとして、弁護士・保田理の個性的なキャラクターが挙げられる。甘いものに目がなく、せっかく来た相談者のことも“他人事”と割り切って寄り添う姿勢を見せない。その一方で覚悟を決めた依頼者の意思を尊重し、法律を武器に最後まで「勝つ」道を突き進もうとする誠実な一面もある。まさに「漫画みたいな」人物であり、でも「現実世界のどこかに存在しているかもしれない」と思わせる絶妙な匙加減のキャラクターだ。原作と比べるとキャラの濃さは5倍濃縮といったところ。とことん腹が立つし、でも憎めない可愛らしさがあり、依頼人を導く姿は頼もしくてかっこいい。保田のキャラがクセになってしまう人も多いはずだ。

またこのドラマではアニメーションを利用して難しい法律の話がわかりやすく説明されている。小中学生が見てもある程度理解できるし、勉強になるだろう。特にスマホを持ち始めた子どもやその保護者にとって、SNS上でのトラブルについて身近に感じられる良い機会になるかもしれない。

「主婦ブロガー炎上編」を通して感じたことは、「木下さんは誰の心にでも存在している」ということだ。木下さんが桐原さんのデマを拡散するに至った背景はものすごく単純、「嫉妬」だ。それも異常に執着しているというわけでもなく、ストレスの発散先を探していたところにちょうどよく目に留まったのが同じマンションで同じ主婦という立場の桐原さんだったというだけ。
物語の中では、木下さんがネットの世界にどっぷり浸かっている様子や育児家事の疲れ、夫の収入に不満を持っている様子が描かれる。ストレスが溜まる毎日だったというのは嘘ではないだろう。社会との繋がりがママ友くらいだったのだとしたら、ネットの世界に新たなコミュニティを求めたのだとしても不思議ではない。そこで「色々上手くいっているように見える」桐原さんに嫌がらせをしたくなり、つい軽はずみな気持ちで…すると書き込みに対して思わぬ反響があったものだから怖くなるどころか嬉しくなってしまってますます調子に乗ったのかもしれない。“悪口コミュニティ”が気持ちよくなってしまってどっぷり浸かって同じ意見しか見えなくなって「そうそう“みんな”桐原が悪いと思ってるもんね、私は間違ってないよね」なんて現実を客観視できなくなって。いつしか現実世界とネットの世界の優先順位が逆になって、だから開示請求をされようが民事裁判を起こされようが相談先は家族じゃなくてネット。もちろん家族にバレたくないのが一番だとは思うが。やっと木下さんが現実に向き合えたのは、夫から「家族だから他人事じゃないから」と言われたシーン。自分が犯した罪を一緒に背負おうとする夫の姿を見てようやく「都合の良いネットの世界」から「全てが思い通りになるわけではないけれど、大切な家族がいる現実世界」に戻ってくることができたのだった。
木下さんには桐原さんの表層的な「上手くいっている部分」しか見えていなかった。桐原さんだって同じ主婦、子育てや夫婦関係に悩むことだってあるだろう。他人からは想像もつかない葛藤を抱えて生活している可能性だってある。ブログだって苦労と努力の末に今の人気を築いたのだろうし、今回のデマ騒動ほどでないにしろアンチの意見に心を痛めた経験だってあったかもしれない。けれど木下さんはそんな桐原さんの背景を、苦労や葛藤や努力を想像しようともしない。自分より幸せそうで羨ましい。自分より恵まれていて羨ましい。ただ自分はこんなに不幸だ、こんなに可哀想なんだと嘆くだけで現状を変えようともしない。だから相手を幸せな世界から引き摺り下ろすことばかりを考える。「“可哀想な私”が、“幸せなあいつを”をちょっと懲らしめてやっても許されるだろう。」「だってみんなもやってるんだし。」という気持ちが「私は悪くない」に繋がったのかもしれない。

さて、ここまで木下さんについて書き連ねたが「世の中やばい人がいるんだな」で終わらせても本当にいいのだろうか。実は木下さんは誰の心にでも少なからず存在しているのではないか?誰だって他人のことを「羨ましい」と感じた経験はあるだろう。恵まれているように見える相手を前に、「自分は自分、他人は他人」と割り切れる人は少数派なのではないか。羨望が嫉妬に変わって、相手の粗を探したり、仲間と悪口を言い合ったり。誰だってままならない現実とバランスを取りながら、この社会を生きている。ではほんのちょっとのきっかけでバランスが崩れたら?その時目の前に都合の良いネットの世界が存在したら?
「木下さんみたいな人はどこにでもいる」保田の台詞が重く響く。もしかしたら自分もほんのちょっとのきっかけで木下さんのようになるかもしれない。そんな自覚を持ってネットが普及したこの社会を生きていくことが大切だと感じさせられた。


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