【連載小説】シクラメンと木のオジサン vol.1
1
「ごめんね、お仕事終わったらすぐ帰ってくるからね」
ママは申し訳なさそうに私に500円玉をくれた。
これで好きな物買って食べてねって。
私は「うん、わかった」と元気よく返事をした。
するとママはにっこり微笑んだ。
私は「良かった」と思った。
ママはいつも大変そうだから。
事実、大変なんだと思う。
それは多分私のせい。
「ママ、モモカには将来うんと好きなことをやって欲しいの。だから少しだけ我慢してね」
私が将来うんと好きなことをするために、ママは毎日働いている。
私が小学校5年生のお姉さんになったから、これからは週に3回、夜も働きにいく。
その夜、私は独りぼっちになる。
ママは「少しの我慢だからね」っていう。
だけど私は我慢が「少し」で足りるのか心配でならない。
だから「パパがいたらな」とか「マリちゃんちみたいにお兄ちゃんとかお姉ちゃんがいたらな」って思ってしまう。
でもそのことはママには言わない。
言うとママが「ごめんね」って言うから。
ママはすぐ「ごめんね」って言う。
何も悪くないのに。
頑張って働いているだけなのに。
私のために。
私が将来うんと好きなことをするために。
それなのに、ママはいつでもどこでも頭を下げている。
2
今日はママが帰ってこない。
それは「少しの我慢」なのに、どういうわけかそのことばかり考えてしまって、そのうち頭が痛くなって、お腹まで痛くなってきた。
とても授業どころではない。
でも具合が悪いと先生に言ったらママに連絡されてしまう。
そしたらママはせっかくのお仕事に行けなくなってしまう。
だから私は具合が悪いことは内緒にしておくことにした。
休み時間、マリちゃんに、
「モモちゃん、遊ぼー!」
と声をかけられた。
だけど私は「昨日夜遅くまでママとyoutubeを見てたから眠い」と嘘をついて、ずっと机に伏して過ごした。
学校が終わるとみんな私を置いて早々に帰った。
どうやらマリちゃんちに行くらしい。
私は寝ていた(正確には寝たふりをしていた)から誘われなかった。
それもそうだろう。
口を開けば「眠い」しか言わない人と私だって遊びたくない。
でもできれば私もマリちゃんちに行きたかった。
だって家に帰ったら朝までずっと一人だから。
私はランドセルを背負い、別に眠たくないけど「ふあ〜」と大きなあくびをして教室を出た。
3
帰り道、洋服を着た子犬が洋服を着た子犬と出会って嬉しそうにはしゃいでいた。その横を自転車の後部座席に乗った子供が「ワンワン」と言って通りすぎていく。
そこら中に平和な音符が散らばっているというのに私は足が重たくて、わざと膝を曲げないで歩いた。
そんなことをしていたら手押し車で歩くおばあさんに抜かされた。
ママもいつかああいうおばあさんになるんだろうか。
その時私は何をしてるんだろう。
うんと好きなことをしてるのかな。
その時ママは何してるんだろう。
ママもうんと好きなことをしてたらいいな。
そもそもママは何が好きなんだろう。
私は何が好きなんだろう。
「将来の夢はなんですか?」
わからない。
「やりたいことは?」
特にない。
「興味あることは?」
特にない。
だけどこれだけは答えられる。
憧れの人。
でも名前はわからない。
だから私はその人のことを勝手に『木のオジサン』と呼んでいる。
(続く)
よろしければサポートをお願いします!いただいたサポートは今後の創作活動及び未来を担う子供達のために使わせていただきます。