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つまらない本ほど、記憶に残ってる。
読書記録を振り返って気付いた驚愕の事実
私は物語を書くくらいなので、当然のように読むのも大好きです。
幼少期の絵本に始まり、漫画、雑誌、小説、ありとあらゆるジャンルの「本」を読んできました。
その「読書記録」を、10歳の頃から日記の片隅に付けておりましたが、片付けついでに読み返しながら「そういえば今まで何冊くらいの本を読んだのだろう?」という疑問が生まれてきました。
その「疑問」は、やがて終活コミュニティで「終活」についての話題で皆さんとお話をしている時に「残された人生であと何冊くらいの本が読めそうか?」という疑問に成長しました。
その疑問に自分なりの回答を出すべく、「これから読むべき本」のざっくりとした道筋と優先順位を決めたい、と行動を開始したのです。
それでなくても我が家には、「買ったけど読めていない本」が本棚から溢れて(私は読了した本しか本棚に並べない)おり、階段やらレンジの脇やらトイレの棚にまで積まれている始末。
その回答を出す上で、「読書ペース」「読書傾向」は知っておかなければならない情報で、私はその情報を「記録」として日記に残している!
10歳の私を褒めてあげたい!
現在はその日記を読み返しながら、私の読書記録を仕分けし、デジタル的に保存する作業に取り掛かっているのですが・・・
つまらない本ほど、内容をよく覚えている
と言う、驚愕の事実に気付いてしまいました。
まだ始めたばかりなので、子供の頃に読んだ遠い記憶の彼方にあるような本ばかりなのに、タイトルを見た瞬間に「これはつまらなかった」と克明にその内容(登場人物や「つまらない」と感じた点)を思い出せるのです。
逆に、「これは面白かった」という本は、「面白かった」という事実が残っているのみで、「どう面白かったのか」「何が面白かったのか」があまり思い出せない。
もちろん全てに当てはまるわけではありませんが、かなりの確率でこの「逆転現象」が起きているのです。
これは、どういうことなのでしょうか。
はっきり言って、そういう無駄な記憶は脳から消し去りたい。
脳の記憶容量も決まっていますので、できれば「面白かった」「ためになった」ものだけを残しておきたい。
の、ですが・・・。
面白くなくても、きちんと読んでいた
「つまらない」という理由で、読むのを途中で止めた本は2冊しかありません。それ以外は、たとえつまらなくても読了してました。
正直なもので、そういった本は読了までに数日から数週間を費やしていたようです。読み始めと読み終わりが書いていあるので、「読了までに掛かった時間」がある程度わかります。
途中に別な本を挟んで読み終えている場合もあり、自分のことながら「がんばって読んだんだなぁ」と感心する始末。
え? 私が読了できなかった2冊が気になる??
「老人と海」と「ライ麦畑でつかまえて」です。
名作だろうが、偉大な作家の作品だろうが、私にはつまらなかった。それだけのことです。それらの作品や作者を否定するわけでもなんでもありませんので勘違いなさらないで下さいね。
ちなみに「危険な年齢」や「誰がために鐘は鳴る」「海流の中の島々」はきちんと読了してました。
意外な「本」
なんでそれを読んだのかもはや覚えていませんが、12歳のある時期、「電話帳」にハマっていたようです。
これをきちんと「本」と認識して日記に付けているあたり、やはり私の感性は子供の頃からズレていたんだろう、と思いました。
24歳までの「読書記録」
そして今日現在、24歳の誕生日までの読書記録が出来上がりました。
読書数:3,441 冊
※ 同じ本を何度か読み返しているので、「タイトル別」では3,128冊
※ 週刊誌、漫画なども含む(電話帳も)
種類別割合:
漫画(漫画雑誌) 41.1%
雑誌(活字) 33.7%
活字本 25.0%
その他 0.2%
※ 図鑑、図録は雑誌に含めてます。
※ 辞典辞書は活字本に含めてます。
こんな感じでした。
この14年間はほとんどが学生時代なので、漫画や雑誌の傾向がもっと高いと思っていましたが、4分の1は活字を追っていたのが意外でした。
「辞典は調べ物だけでは?」と思われるかも知れませんが、私は「辞典マニア」です。調べ物としてだけではなく、今でも「読み物」として辞典辞書を読んでいます。なにせ、電話帳を「読み物」とするくらいですからね。
とても面白いので、オススメですよ!
私と「本」と「読書」。そして読書のススメ
「本」は、新しい世界の扉です。
「読書」は新しい世界の体験です。
私の知的好奇心を満たし、気付きを与え、さらに先にある知識を求めるために、新たな「扉」を開くための「鍵」でもあります。
あくまで「私にとって」の話ですよ?
好きな理由、嫌いな理由、皆さんそれぞれにたくさんあると思います。
好きな方には、何も申し上げません。申し上げる理由もないですもんね?
でも、嫌いな方には申し上げたい。
「読書はいいぞ?」
ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、私は人生において「バランス」と「時間効率」が一番大切だと思っています。
そんな私が様々なことを試した結果、「知識を探究する上での読書」は圧倒的に「時間効率が良い」行動だと感じています。
実際に情報を取得するだけなら、動画の方に分があるでしょう。ですが、その「記憶」を「知識」として脳内に留めたいのなら、「読書」の方に分がある、と私は考えます。
この辺りのバランスをうまく取りながら、動画を楽しむように読書を楽しまれてみてはいかがでしょうか?
動画と言うのは、「情報」を圧縮して短時間に大量に取得できますが、その量の多さから、記憶は「一時記憶」として保存される方がほとんどだと思います。
対して「読書」は、情報の取得に時間が掛かります。その分、脳の処理速度に大きな負荷を掛けることなく、情報を蓄積できます。「長期記憶」の方に割り振ることができるでしょうし、「文字」を「イメージとして映像化」する余裕も生まれ、右脳左脳をバランスよく使えます。
つまり、その情報を今後の人生の「知識」として活かしたいのなら、「読書」の方が圧倒的にオススメだと言うことです。
例えて言うなら、「旅行」に置き換えて、
旅先に早く着いて思いっきりエンジョイしたい!→動画
旅先までの行程(風景や寄り道)を楽しみたい!→読書
のような感じでしょうか。
要するに、「飛行機や自動車」か「自転車や徒歩」の違いと同じではないかと思うのです。
なので、その時の気分や「キッカケ」に応じて、適宜使い分ける方策の一つとしての「読書」をおすすめしたいというわけです。
まあnoteでこれ言ってもなあ、という気もしますし(ほとんどの方が読書好きなのでは??)、「スカパー!」様協賛の「#ハマった沼を語らせて」でこれ書くのもどうかと思わないでもないのですが、その辺は「大人の対応」でお願いしたいところw
今後の展望
前段で「読書」をお勧めしておいてアレなんですが、実はここ数年「読書」をサボってます。
「物書き」としての商業化、書籍化を目指して仕事をセミリタイアして以降、
「読んでるヒマがあったら書く」
を自分に課しています。
「全く読まない」という意味ではなく、一日の中で本に向き合う時間が極端に少なくなっている、というくらいなのですが、最初の頃は「禁断症状」のようなものが出て、無性に本を読みたくなりましたw
そこを無理矢理「書く」に没頭しているうちに、「あ、自分で書いた文章読めばいいんじゃん!」ということに気が付き、それが過去の創作や日記の読み返しに繋がって、この稿があります。
おかげさまで「商業化」の道は歩み出しましたが、「物書きだけで食べていける」レベルではありませんし、「書籍化」はしていないので、道のりはまだまだ遠いと感じていますが、禁断症状は出なくなってきました。
この活動は3年を目途に計画しておりまして、今年4月で2年目に入ります。
なので、あと丸二年はこの生活が続くでしょう。
その後がどうなろうとも、2027年からは読書を再開します。
今の時点で何冊読んでいるのかはこれからの集計で徐々に明らかになっていくでしょうが、人生が終わるその日までに10,000冊(10,000種類)は最低限クリアしたいな、と思ってます。
14年で3,000冊読んでいるので、集計の具合によっては10,000冊が20,000冊、あるいは30,000冊になるかも知れませんが、いずれにしてもその中に「老人と海」と「ライ麦畑でつかまえて」は必ず入れようと思ってます。
その他の「つまらない」に分類している本の傾向を見ていると、どうやら私は「考えさせられる」本が苦手のようです。「考える」のは好きなのですが、本を読んで「考えたい」と考えている(ややこしいな!)ワケではないので、そうなったのでしょう。
そう考えてみると、私にとっての「読書」は、実は壮大な「暇つぶし」なのかも知れないなぁ、なんて。
それでは、今夜はこの辺で。
おやすみなさい。
良い夢が見られますように✨✨✨
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