映画鑑賞文と漫画感想文

このコロナ禍において夏休みに読書感想文の課題を出すなんて、わが勤務校もなかなかSなことをするもんだ、休み短いのに大変だのぅ、と思っていたらやっぱり提出率がめちゃ低いらしい。そりゃそーだわな。
このいわゆる「夏休みの読書感想文」については一介の講師である私のところには回ってこないので、彼らがどのようなものを書いて誰がどう審査しているのかはわからない。わからないのだが経験的にかなりの数の「ネットから感想文を丸写し」「コミカライズされたのを読んで書いた」「映画化されたのを見て書いた」なんなら「ネットにある映画評を読んで写した」というものが混じっているのは間違いない。(感想文屋さんに頼むようなヤツはいないと思う。学校の宿題ごときにお金を払う子がいるとは考えにくい。うちの学校の場合だけど。)

さて、この課題とは別に、私は4〜5月の自粛期間中に「何か課題を出してやってくれ」と言われたので「本を読んでその本の紹介文を書く」という課題を出していたんだけど、6月に集めてみたらまあまあの確率で上記のようなものが混じっていた。

なんとか文字数を埋めるために縋る思いでネットの大海に乗り出すのだろうが、まあだいたいわかるものである。国語科教員なら。(一度それで担任と揉めたことがある。「僕はこの子が書いたと思いますけどねえ! そんな悪いことをするヤツじゃないですよ!」という担任に「いやいやこの子の語彙力とマッチしてませんから。そもそもこの単語、ほら写し間違いですよ。自分が知ってる単語だったらこんな風に間違えないでしょ」というような押し問答。やっぱり丸写しだったという一件だった。)

感想文の書き方について習ってないのに感想文を書けというのは難しい、と良く言われる。だから私の課題は「紹介文」にしたわけだが、その違いについてもあまり言及したことはないので、感想文との差はあまりない。

とはいえ、そもそも国語の学習の過程において感想文を書いて単元の締めくくりとすることは良くあるので、感想文を書いたことがないわけでもないはずだ。

ではなぜ丸写し問題が起こるのか。

ひとえに文字数にビビっているから、だと私は思う。
これは作文のトレーニングをコツコツ行ってきたかどうかということに繋がるのだが、まあ「作文」という授業がない小中学校では難しい。だからいきなり2000字と言われたら怯むのだ。

ここで言いたいのは読書感想文を書かないヤツが悪いとかそういう話じゃない。

「映画鑑賞文と漫画感想文を蔑ろにしているという罪について」である。

私はとにかく映画を見たり漫画を見たりして「読書感想文です」と偽って出してくるのが大嫌いだ。なぜって、映画と漫画を冒涜しているじゃないか。

映画を見たなら、その感想としては映像の美しさ、カット割りの工夫、絶妙なタイミングで挿入された音楽の素晴らしさ、そして俳優の演技力、セリフとセリフとの間のタメ、そういうものに言及しなくちゃダメでしょう。

漫画を読んだなら、コマ割の工夫、線画の美しさ、引きとアップのバランス、モノローグの使い方、ぶち抜きの大ゴマの迫力などを熱く語らないとダメでしょう。

それをやらずに「ストーリーだけ」を追って、それについてのみ語る。無理があるし、映画にも漫画にも失礼この上ないと思う。

逆に言えば、小説などを読んだ際の感想文についても、「この表現が美しい」ということについて掘り下げる授業をしていないということだ。それは詩や短歌・俳句といった単元ばかりに集中して行われており、小説やエッセイ、何なら評論において「その表現がなぜ選ばれたのか」ということはあまり考えさせる機会がない。

光なのか輝きなのか煌めきなのか閃光なのか、作者はそのうちどれを選ぶのか。それはなぜか。そういうようなことをだ。

そういう視点を持って文学作品を読んでほしいし、映画やアニメや漫画を楽しんでほしい。そしてそれを言語化するのが感想文であり、鑑賞文なのだと思う。ストーリーに絞って作文するより、書くことがたくさんあって楽しいんじゃないだろうか。

まあ、今度時間があったら何か映像作品を見せて鑑賞文を書かせてみると良いのかもしれない。それとも漫画に限定して感想文を集めてみようかな。

まずは「楽しい作文」を経験してほしいと思う。



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